吉田白嶺(読み)よしだ はくれい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田白嶺」の解説

吉田白嶺 よしだ-はくれい

1872*-1942 明治-昭和時代前期の彫刻家
明治4年12月9日生まれ。34年から独学木彫をまなび,平櫛田中(ひらぐし-でんちゅう)らの日本彫刻会に参加。大正2年文展で「寂静」が褒状受賞。のち再興日本美術院にうつり,同人となった。昭和17年1月21日死去。72歳。東京出身。本名は利兵衛。

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世界大百科事典(旧版)内の吉田白嶺の言及

【明治・大正時代美術】より

…彫塑の朝倉文夫,建畠大夢(たてはたたいむ)(1880‐1942),堀進二,池田勇八(1886‐1963),大理石彫の北村四海らがあげられるが,これらのなかでは朝倉文夫が傑出しており,《墓守》(1910),《いづみ》(1914)のように,的確な自然主義の作品を残した。 再興日本美術院には,平櫛田中,佐藤朝山(1888‐1963),内藤伸(1882‐1967),吉田白嶺(1871‐1942)の4人の木彫家で彫刻部が新設された。荻原守衛の影響と近代彫刻の本質に迫ろうとの試みは,ここに拠った藤井浩祐(こうゆう)(1882‐1958),戸張孤雁,石井鶴三,中原悌二郎,保田竜門(やすだりゆうもん)(1891‐1965)らに現れて高い水準を示し,官展に対抗しうる力を発揮した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」