平櫛田中(読み)ヒラグシデンチュウ

デジタル大辞泉 「平櫛田中」の意味・読み・例文・類語

ひらぐし‐でんちゅう【平櫛田中】

[1872~1979]彫刻家岡山の生まれ。本名倬太郎たくたろう高村光雲師事し、日本美術院再興参加。写実的な作風で、彩色木彫が多い。文化勲章受章。作「鏡獅子」など。

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精選版 日本国語大辞典 「平櫛田中」の意味・読み・例文・類語

ひらぐし‐でんちゅう【平櫛田中】

  1. 彫刻家。本名倬太郎。岡山県出身。高村光雲に師事。また、岡倉天心指導で日本彫刻会を起こす。大正三年(一九一四)日本美術院の再興に参加。木彫の伝統的技術に立脚した写実的な作風と精密な肖像特色とする。日本芸術院会員。東京芸術大学教授などを歴任。文化勲章受章。代表作転生」「鏡獅子」。明治五~昭和五四年(一八七二‐一九七九

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20世紀日本人名事典 「平櫛田中」の解説

平櫛 田中
ヒラクシ デンチュウ

明治〜昭和期の彫刻家 東京美術学校教授。



生年
明治5年1月15日(戸籍=6月30日)(1872年)

没年
昭和54(1979)年12月30日

出生地
岡山県後月郡西江原村(現・井原市)

本名
平櫛 倬太郎(ヒラクシ タクタロウ)

旧姓(旧名)
田中

別名
旧雅号=田仲

主な受賞名〔年〕
野間美術賞(第2回)〔昭和17年〕,文化功労者〔昭和29年〕,文化勲章〔昭和37年〕,井原市名誉市民,福山市名誉市民,台東区名誉区民

経歴
田中家に生まれ、11歳で平櫛家の養子となった。大阪の人形師中谷省古に学び、明治30年上京して高村光雲に師事。その後も人形師の系譜を大切に、その伝統を現代に生かそうと苦闘を続けた。35年三々会会員、40年日本彫刻会を結成。41年第1回日本彫刻会展で「活人箭」が岡倉天心に認められる。43年第5回文展で「維摩一黙」が3等となる。大正3年日本美術院同人、昭和12年帝国院芸術院会員、17年文展審査員、19〜27年東京美術学校教授、28年日展審査員、33年日本美術院理事、40年東京芸術大学名誉教授。37年文化勲章受章。44年井原市立田中美術館が設立され、46年には平櫛田中賞が設けられた。作品は「転生」「五浦釣人」「鏡獅子」「尋牛」「法堂二笑」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「平櫛田中」の意味・わかりやすい解説

平櫛田中 (ひらくしでんちゅう)
生没年:1872-1979(明治5-昭和54)

彫刻家。岡山県に生まれる。本名倬太郎。初め田仲と号した。10歳で平櫛家の養子となった。大阪で中谷省古に木彫を学び,1897年上京して高村光雲に師事した。早くから日本美術協会,東京彫工会などで活躍し,文展にも第1回展から出品した。1907年山崎朝雲,米原雲海らと日本彫刻会を結成,岡倉天心に認められた。第5回文展で《維摩一黙》が三等賞となったが,14年日本美術院の再興に参加し同人となり,《禾山笑》《転生》《五浦釣人》(天心先生像)などを発表して,院展彫刻部で指導的役割を果たした。35年帝国美術院会員,44年帝室技芸員となり,同年から52年まで東京芸術大学教授をつとめた。71年白寿を記念して平櫛田中賞が設定された。練達した彫技法による写実的作風を示し,彩色木彫が多い。代表作には《鏡獅子》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平櫛田中」の意味・わかりやすい解説

平櫛田中
ひらくしでんちゅう
(1872―1979)

彫刻家。岡山県生まれ。本名倬太郎。大阪で人形師中谷省古に木彫技術を、1897年(明治30)上京して高村光雲(こううん)に木彫を学んだ。早くから日本美術協会、東京彫工会などで活躍し、文展にも第1回展(1907)から出品している。1908年(明治41)岡倉天心(てんしん)の指導のもとに山崎朝雲(ちょううん)、米原雲海(よねはらうんかい)らと日本彫刻会を結成。14年には日本美術院の再興に参加、彫刻部同人として活躍した。37年(昭和12)帝国芸術院会員、44年帝室技芸員。44~52年東京芸術大学教授を務め、官展の審査員も務めた。55年(昭和30)文化功労者、62年文化勲章受章。練達した彫技法に基づく写実的な作風が特色で、おもな作品に『転生(てんしょう)』『天心先生像』『降魔』『鏡獅子(かがみじし)』などがある。69年、生地井原市に井原市立田中美術館が開設され、72年から彫刻振興のための平櫛田中賞が設定されている。

[三木多聞]

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百科事典マイペディア 「平櫛田中」の意味・わかりやすい解説

平櫛田中【ひらぐしでんちゅう】

彫刻家。本名倬太郎。岡山県生れ。上京して高村光雲に師事し,1907年日本彫工会の創立に参加,第1回展の《活人箭》で岡倉天心に認められた。のち再興美術院の木彫部で活躍。木彫の伝統的技法を保持しながら,写実主義的描写を進めた。1962年文化勲章。1971年平櫛田中賞が制定された。岡山県に井原市立田中美術館がある。
→関連項目山崎朝雲米原雲海

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平櫛田中」の意味・わかりやすい解説

平櫛田中
ひらくしでんちゅう

[生]明治5(1872).6.30. 岡山,後月
[没]1979.12.30. 東京,小平
彫刻家。旧姓田中,平櫛家の養子となる。本名倬太郎。大阪に出て人形師の中谷省古に師事。 1897年上京して高村光雲に木彫を学び,1907年に米原雲海,山崎朝雲らと日本彫刻会を組織,08年同会第1回展に出品した『活人箭』で岡倉天心に認められた。文展にも第1回展から出品。 14年に再興日本美術院の同人となり,院展彫刻の中心作家として活躍。帝室技芸員,東京芸術大学教授,日本芸術院会員,文化功労者となり,62年に文化勲章受章。主要作品『維摩一黙』 (1911) ,『五浦釣人』 (30) ,『鶴しょう』 (42,東京国立近代美術館) ,彩色木像『鏡獅子』 (58,同) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平櫛田中」の解説

平櫛田中 ひらくし-でんちゅう

1872-1979 明治-昭和時代の彫刻家。
明治5年1月15日生まれ。30年上京して高村光雲にまなぶ。40年日本彫刻会を結成,同会展の出品作で岡倉天心にみとめられた。日本美術院再興につくす。昭和19年東京美術学校(現東京芸大)教授。彩色木彫作品がおおい。37年文化勲章。昭和54年12月30日死去。107歳。岡山県出身。旧姓は田中。本名は倬太郎。作品に「転生(てんしょう)」「鏡獅子(かがみじし)」など。
【格言など】六十,七十はなたれこぞう,おとこざかりは百から百から(99歳での書「不老」の添書き)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「平櫛田中」の解説

平櫛田中
ひらくしでんちゅう

1872.6.30~1979.12.30

明治~昭和期の木彫家。岡山県出身。旧姓田中,名は倬太郎(たくたろう)。大阪で人形師中谷豊吉に木彫技術を学び,上京して高村光雲に師事し,兄弟子米原雲海から多くを学んだ。1907年(明治40)日本彫刻会を結成,岡倉天心に認められ,日本美術院再興記念展に出品し同人となった。院展には「転生」「五浦釣人」「鏡獅子」などを発表。東京芸術大学教授として長く教育にも尽力。帝室技芸員。文化勲章受章。

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旺文社日本史事典 三訂版 「平櫛田中」の解説

平櫛田中
ひらぐしでんちゅう

1872〜1979
大正・昭和期の彫刻家
本名倬太郎 (たくたろう) 。岡山県の生まれ。東京美術学校で高村光雲に師事。日本美術院同人として活躍。木彫を中心とした伝統彫刻の代表作に『天心先生』『鏡獅子』などがある。日本美術学校教授,日本芸術院会員を歴任。1962年文化勲章受章。

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367日誕生日大事典 「平櫛田中」の解説

平櫛 田中 (ひらぐし でんちゅう)

生年月日:1872年1月15日
明治時代-昭和時代の彫刻家。東京美術学校教授
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の平櫛田中の言及

【明治・大正時代美術】より

…白馬会には菊地鋳太郎,小倉惣次郎が加わり,太平洋画会にはヨーロッパ留学から帰った新海(しんかい)竹太郎(1868‐1927),北村四海(しかい)(1871‐1927)が加わって後進を指導した。これらようやく盛んになりかけた洋風彫塑に対抗して,1907年,岡倉天心を会長とし,米原雲海(1869‐1925),山崎朝雲(1867‐1954),平櫛(ひらくし)田中らの新鋭木彫家6名による日本彫刻会が結成され,文展第3部には,木彫家,彫塑家が一堂に会することとなる。文展では審査員の新海竹太郎,受賞者の朝倉文夫が注目されたが,08年ロダンに師事して帰国したばかりの荻原守衛が,ロダン風の生命感にあふれた表現により識者の評価を集める。…

※「平櫛田中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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