平櫛田中(読み)ひらくし でんちゅう

百科事典マイペディアの解説

平櫛田中【ひらぐしでんちゅう】

彫刻家。本名倬太郎。岡山県生れ。上京して高村光雲に師事し,1907年日本彫工会の創立に参加,第1回展の《活人箭》で岡倉天心に認められた。のち再興美術院の木彫部で活躍。木彫の伝統的技法を保持しながら,写実主義的描写を進めた。1962年文化勲章。1971年平櫛田中賞が制定された。岡山県に井原市立田中美術館がある。
→関連項目山崎朝雲米原雲海

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平櫛田中 ひらくし-でんちゅう

1872-1979 明治-昭和時代の彫刻家。
明治5年1月15日生まれ。30年上京して高村光雲にまなぶ。40年日本彫刻会を結成,同会展の出品作で岡倉天心にみとめられた。日本美術院再興につくす。昭和19年東京美術学校(現東京芸大)教授。彩色木彫作品がおおい。37年文化勲章。昭和54年12月30日死去。107歳。岡山県出身。旧姓は田中。本名は倬太郎。作品に「転生(てんしょう)」「鏡獅子(かがみじし)」など。
【格言など】六十,七十はなたれこぞう,おとこざかりは百から百から(99歳での書「不老」の添書き)

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世界大百科事典 第2版の解説

ひらくしでんちゅう【平櫛田中】

1872‐1979(明治5‐昭和54)
彫刻家。岡山県に生まれる。本名倬太郎。初め田仲と号した。10歳で平櫛家の養子となった。大阪で中谷省古に木彫を学び,1897年上京して高村光雲に師事した。早くから日本美術協会,東京彫工会などで活躍し,文展にも第1回展から出品した。1907年山崎朝雲,米原雲海らと日本彫刻会を結成,岡倉天心に認められた。第5回文展で《維摩一黙》が三等賞となったが,14年日本美術院の再興に参加し同人となり,《禾山笑》《転生》《五浦釣人》(天心先生像)などを発表して,院展彫刻部で指導的役割を果たした。

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大辞林 第三版の解説

ひらくしでんちゅう【平櫛田中】

1872~1979) 彫刻家。岡山県生まれ。本名、倬太郎。東京芸大教授。高村光雲に木彫を学び日本美術院の再興に尽力。彩色木彫作品が多い。作「鏡獅子」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平櫛田中
ひらくしでんちゅう

[生]明治5(1872).6.30. 岡山,後月
[没]1979.12.30. 東京,小平
彫刻家。旧姓田中,平櫛家の養子となる。本名倬太郎。大阪に出て人形師の中谷省古に師事。 1897年上京して高村光雲に木彫を学び,1907年に米原雲海,山崎朝雲らと日本彫刻会を組織,08年同会第1回展に出品した『活人箭』で岡倉天心に認められた。文展にも第1回展から出品。 14年に再興日本美術院の同人となり,院展彫刻の中心作家として活躍。帝室技芸員,東京芸術大学教授,日本芸術院会員,文化功労者となり,62年に文化勲章受章。主要作品『維摩一黙』 (1911) ,『五浦釣人』 (30) ,『鶴しょう』 (42,東京国立近代美術館) ,彩色木像『鏡獅子』 (58,同) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平櫛田中
ひらくしでんちゅう
(1872―1979)

彫刻家。岡山県生まれ。本名倬太郎。大阪で人形師中谷省古に木彫技術を、1897年(明治30)上京して高村光雲(こううん)に木彫を学んだ。早くから日本美術協会、東京彫工会などで活躍し、文展にも第1回展(1907)から出品している。1908年(明治41)岡倉天心(てんしん)の指導のもとに山崎朝雲(ちょううん)、米原雲海(よねはらうんかい)らと日本彫刻会を結成。14年には日本美術院の再興に参加、彫刻部同人として活躍した。37年(昭和12)帝国芸術院会員、44年帝室技芸員。44~52年東京芸術大学教授を務め、官展の審査員も務めた。55年(昭和30)文化功労者、62年文化勲章受章。練達した彫技法に基づく写実的な作風が特色で、おもな作品に『転生(てんしょう)』『天心先生像』『降魔』『鏡獅子(かがみじし)』などがある。69年、生地井原市に井原市立田中美術館が開設され、72年から彫刻振興のための平櫛田中賞が設定されている。[三木多聞]

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世界大百科事典内の平櫛田中の言及

【明治・大正時代美術】より

…白馬会には菊地鋳太郎,小倉惣次郎が加わり,太平洋画会にはヨーロッパ留学から帰った新海(しんかい)竹太郎(1868‐1927),北村四海(しかい)(1871‐1927)が加わって後進を指導した。これらようやく盛んになりかけた洋風彫塑に対抗して,1907年,岡倉天心を会長とし,米原雲海(1869‐1925),山崎朝雲(1867‐1954),平櫛(ひらくし)田中らの新鋭木彫家6名による日本彫刻会が結成され,文展第3部には,木彫家,彫塑家が一堂に会することとなる。文展では審査員の新海竹太郎,受賞者の朝倉文夫が注目されたが,08年ロダンに師事して帰国したばかりの荻原守衛が,ロダン風の生命感にあふれた表現により識者の評価を集める。…

※「平櫛田中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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