大井手堰(読み)おおいでせき

日本歴史地名大系 「大井手堰」の解説

大井手堰
おおいでせき

山国やまくに川下流右岸一帯を潤す灌漑用水。山国川が中津平野に出た地点に八幡鶴市はちまんつるいち神社があり、そのやや下流に人柱を立てて井堰を築いたという伝説をもつ取水口三口みくち井手がある。保延元年(一一三五)湯屋弾正基信らは万田まだ村と高瀬たかせ村との間を流れる川を塞ぎ、その西の古川を幹川として井手堰を築いたという。堰は三つに分れ、西の口の水は宮永みやなが村・島田しまだ村を経て蠣瀬かきぜ村に至って海に入る。これを金剛こんごう川という。東の口の水は宮夫みやぶ村の東を経て自見じみの西に出て海に注ぐ。これを矢流やな(現柳川)という。中流中津城下上水道とされ、細川忠興が槙左馬を奉行とし、大工頭孫兵衛に命じて、藍原あいわら村より樋を埋めて城内に水を引いたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大井手堰の言及

【山国川】より

…この分流はさらに1889年の大洪水で新たに本流となり,砂礫に埋まった旧本流(現,中津川)が分流となった。山国川から取水する灌漑用水路は多いが,なかでも青ノ洞門近くの荒瀬井堰と中津市の大井手堰は,ともに中津平野を灌漑する大井堰で,前者は中津平野南部の洪積台地の下毛原(しもげばる)を,後者は中津平野東部の沖積低地沖代平野をうるおす。【勝目 忍】。…

※「大井手堰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」