日本歴史地名大系 「藍原村」の解説 藍原村あいわらむら 大分県:中津市藍原村[現在地名]中津市相原(あいはら)中津平野の南西端、坂手隈(さかてくま)の台地の下にあり、西は三口(みくち)の河原、北は湯屋(ゆや)村。宇佐宮神人(貫首)藍原氏の名字の地。弘安七年(一二八四)頃と思われる関東下知状断簡(櫛野文書)によれば「河(阿カ)江原寺居垣本糸永田四条二里二六坪五段、二七坪八段」等を野仲次郎入道正行と兵庫馬次郎兵衛資時が争い、一度和与したことがみえる。両者は岩門合戦で、少弐景資の家来として討死したらしい。正応六年(一二九三)四月一一日の沙弥願仏田畠等譲状(湯屋文書)によれば、宇佐弥勒寺領得善(とくぜん)保内四郎丸(しろうまる)名に「一所二反あいハらた中のより」とみえる。文保二年(一三一八)五月日の宇佐宮神官実世申状(永弘文書)によれば、「下毛郡麻生郷藍原屋敷弐ケ所内北依一ケ所」は宇佐宮領であったが、野仲(のなか)郷司が押領したと鎮西探題に訴えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by