山中慎介(読み)やまなかしんすけ

知恵蔵 「山中慎介」の解説

山中慎介

日本のプロボクサー。第29代世界バンタム級チャンピオン。滋賀県湖南市(旧甲賀郡甲西町) 出身、1982年10月11日生まれ。
中学までは野球をしていたが、チームで戦うのではなく1対1で結果が出る「男らしい」スポーツとして、体格に恵まれなくとも戦うことができるボクシングに憧れていた。中学校の卒業文集には「世界チャンピオンになる」と書いている。ボクシング部のある南京都高校に進学し、片道2時間半の通学をしながら練習に励んだ。武元前川監督の指導の下、本来は右利きでありながら、右手を前に構えるサウスポースタイルを身につけ、高校3年時に2000年富山国体少年男子フェザー級で優勝した。この時の第3位は後の世界の2階級を制覇する粟生隆寛。高校ボクシング部の後輩には、ロンドン五輪ボクシングミドル級金メダリストで現在プロボクサーの村田諒太がいる。
専修大学進学後はボクシング部の主将を務めたが、「ボクシングへの情熱が高校時代に燃え尽き、情念が薄れていた」という状況で、4年生時には最後の試合と位置付けて国体に出場した。しかし、初戦で敗退したことで「このままでは終われへん。」と考えを変え、プロ入りを決意したという。世界チャンピオンを多数輩出している東京の帝拳ボクシングジムへ入門。プロ初戦は06年1月7日、東京都の後楽園ホールでの高橋仁(角海老宝石ボクシングジム)戦で6回判定勝ちし、プロデビューを飾った。以後、働きながらのボクサー生活で練習時間の確保も難しいなか努力を重ね、二つの引き分けをはさんで11連勝。10年6月20日には、日本バンタム級王者安田幹男(六島ボクシングジム)を7回TKOで下し、日本バンタム級のタイトルを獲得した。このタイトルを一度防衛した後の11年11月6日、プロ入り後17戦目でメキシコのクリスチャン・エスキベルとWBC世界バンタム級王座決定戦を行い、11回1分28秒TKO勝ちで世界タイトルを獲得した。以降、8回連続防衛している(うち6度がKO/TKO)。
圧倒的な破壊力を持つ左ストレートは、「神の左」と呼ばれる。15年5月には、アメリカの権威あるボクシング専門紙「RING」が選ぶ「パウンド・フォー・パウンド」(全階級を通じての最強選手ランキング)で10位に選ばれた。15年4月までの戦績は、25戦23勝(17KO)2分。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「山中慎介」の解説

山中慎介

プロボクサー。171センチ、57キロ。サウスポーでリーチは173センチ。1982年10月11日 、滋賀県甲賀郡甲西町(現滋賀県湖南市)生まれ。高校時代の2000年に少年フェザー級で優勝。専修大学時代はボクシング部の主将を務め、卒業後、帝拳ボクシングジムに入る。06年、プロデビュー戦を行い6回判定勝ち。10年、7回TKO(テクニカル・ノックアウト)で日本バンタム級王者となる。11年3月、10回TKOで初防衛。同年11月16日、WBCバンタム級世界ランク2位のクリスチャン・エスキベルと世界王座決定戦を行い、11回TKOで、プロ入り後無敗のままWBC世界バンタム級王座を獲得した。12年4月、元世界2階級制覇の強豪ビック・ダルチニャンを相手に判定勝ちで初防衛。以降、同年11月、13年4月、同年8月と計4度にわたり防衛戦を制した。強烈な左ストレートが持ち味で、これまでのプロ戦績は21戦19勝(14KO)、0敗2分。

(2013-8-15)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android