島崎柳塢(読み)しまざき りゅうう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島崎柳塢」の解説

島崎柳塢 しまざき-りゅうう

1865-1937 明治-昭和時代前期の日本画家。
慶応元年5月4日生まれ。桜井謙吉に洋画をまなぶが,のち日本画に転向松本楓湖(ふうこ),川端玉章に師事し,美人画を得意とする。川端画学校教授,日本美術協会理事をつとめた。昭和12年1月21日死去。73歳。江戸出身。名は友輔。字(あざな)は子文。別号に栩々亭山人,墨水漁夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の島崎柳塢の言及

【明治・大正時代美術】より

…しかし日本美術院の新美術運動は京都の日本画家に大きな刺激を与え,菊池芳文(1862‐1918),竹内栖鳳,山元春挙(1871‐1933)らも西洋画の写生をとり入れ,日本美術院に呼応して新機運の打開に努めることとなる。また結城素明(1875‐1957),平福百穂,島崎柳塢(りゆうう)(1856‐1938)らは東京で无声会(むせいかい)を結成し(1900),西洋画の写生を研究して自然主義的な新しい日本画をもたらすことになる。
[明治美術会と白馬会]
 明治10年代の後半,洋画家たちは一時息をひそめたが,この間にヨーロッパに渡った山本芳翠(フランス),原田直次郎(ドイツ),松岡寿(イタリア)らが帰国し,洋画界の新しい活動力となる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」