極印千右衛門(読み)ごくいんせんえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「極印千右衛門」の意味・わかりやすい解説

極印千右衛門
ごくいんせんえもん

江戸時代、大坂の侠客(きょうかく)五人男の一人。極印屋正三郎の倅(せがれ)。浪速(なにわ)五人男とは千右衛門のほか、雁金(かりがね)文七、庵(あんの)平兵衛、雷(かみなり)庄九郎、ほての市右衛門をいう。彼らは市中で恐れられた無頼者で、1702年(元禄15)8月26日(一説では16日)、大坂・道頓堀(どうとんぼり)千日(せんにち)において死罪獄門となる。『摂陽奇観』によると、1701年6月6日の夜、北久太郎町において、喜兵衛と五郎という者と、勘兵衛と市兵衛との喧嘩(けんか)のところへやってきた、五人男の一人庵平兵衛が懐剣を喜兵衛の肋骨(ろっこつ)に突き刺した事件によって五人男が捕えられる。また同書では、千右衛門の墓は雁金文七とともに大坂高津の正法寺境内にあるとされている。享年は23歳。

[芳井敬郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「極印千右衛門」の解説

極印千右衛門 ごくいん-せんえもん

1680-1702 江戸時代前期の無頼者。
延宝8年生まれ。雁金(かりがね)文七,庵(あん)の平兵衛,布袋(ほてい)市右衛門,神鳴(かみなり)庄九郎とともに,金品強奪や喧嘩(けんか)などで大坂市中をあばれまわる。他の4人とともに捕らえられ,元禄(げんろく)15年8月26日刑死。23歳。この5人組は,のち歌舞伎などに脚色され,雁金五人男の名でつたえられた。

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