玉城城(読み)たまぐすくじょう

日本の城がわかる事典 「玉城城」の解説

たまぐすくじょう【玉城城】

沖縄県南城市にあった王城。玉城は琉球王国の歴史書に登場する王で、英祖(えいそ)王統の4代目であり、先代の英慈の三男である。国政を省みず、英祖王統滅亡の一因とされているが、玉城の在位中に、英祖王統が存在した中山(ちゅうざん)のほかに、南山北山でも王朝が成立している。玉城城は別名「アマツヅグスク」とも呼ばれ、琉球七御嶽の一つであり、久高島や本島中南部が見わたせる高台に立地した。城門は自然の琉球石灰岩をくり抜いて造られた珍しいもので、『琉球国由来記』には琉球創世神アマミキヨが築いたと記述され、琉球最古の古城跡といわれている。第二次世界大戦でのアメリカ軍の攻撃のため、ほとんど原形を残しておらず、石垣はアメリカ軍の基地建設のために骨材として持ち出された。那覇空港からモノレールで旭橋下車、または那覇バスターミナルからバスで垣花下車、徒歩約20分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の玉城城の言及

【玉城[村]】より

…琉球王朝時代からの遺跡や聖地が多く,東の知念村とともに〈神の国〉とよばれ,〈東御回り(アガリウマーイ)〉という巡礼路になっている。稲作発祥伝説のある聖泉〈受水(うきんじゆ)・走水(はいんじゆ)〉と聖田〈御穂田(みふーだ)〉,アマミキョが築いたという玉城城跡,アマミキョが最初に住んだというミントン城跡,14世紀前半の糸数(いとかず)の按司(あじ)築城という糸数城跡(史)などがその巡礼地である。雄樋(ゆひ)川沿いには1967年発見の大鍾乳洞玉泉洞がある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」