郷司浩平(読み)ごうしこうへい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「郷司浩平」の意味・わかりやすい解説

郷司浩平
ごうしこうへい
(1900―1989)

経済団体役員、財界人。大分県日出(ひじ)町に生まれる。東京遊学中、伝道師に預けられたことから牧師を志し、青山学院大学神学部卒業、さらに渡米してユニオン神学校、コロンビア大学に学ぶ。1929年(昭和4)の株式市場暴落を現地で観察し経済問題に目を開かれ、帰国後経済界に入る。中外商業新報社『中外財界』、高橋経済研究所『高橋経済日報』各主幹等を務めたほか、第二次世界大戦中は重要産業協議会調査部長・事務局長。戦後の1946年経済同友会結成を推進し常任幹事兼事務局長。生産性向上運動を提唱し1955年日本生産性本部を発足させ専務理事、1968年理事長、1972年会長、1986年名誉会長に就任した。

[浅野俊光]

『中村隆英・伊藤隆・原朗編『現代史を創る人びと1』(1971・毎日新聞社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「郷司浩平」の解説

郷司浩平 ごうし-こうへい

1900-1989 昭和時代の財界人。
明治33年10月16日生まれ。アメリカ留学中に世界大恐慌にであう。帰国後「経済情報」の編集長などをつとめる。昭和21年経済同友会結成につくし事務局長。30年日本生産性本部を発足させ専務理事,47年会長。平成元年10月11日死去。88歳。大分県出身。青山学院卒。

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世界大百科事典(旧版)内の郷司浩平の言及

【経済同友会】より

…こうした状況のなかで,1946年3月11日の日本産業協議会(日産協)準備会結成に続き,4月30日に秩父セメント社長諸井貫一をリーダーとする大企業の若手経営者を中心に同友会は組織された。初代の当番幹事は諸井のほか,日産協事務局長郷司浩平,同顧問帆足計。同友会の活動目的は,経済人としての職能的立場から日本経済の進歩と安定に寄与し,会員相互の啓発をはかることにある(定款)。…

※「郷司浩平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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