飯高惣兵衛(2代)(読み)いいだか・そうべえ

朝日日本歴史人物事典 「飯高惣兵衛(2代)」の解説

飯高惣兵衛(2代)

没年:文化2.11.9(1805.12.29)
生年:享保20(1735)
江戸中・後期,九十九里浜の大地曳網主。幼名清三郎,諱は尚寛。惣兵衛は世襲名。覇陵,牛歩と号した。上総国山辺郡粟生村(千葉県九十九里町)に惣右衛門の3男として生まれ,長兄宗兵衛,次兄初代惣兵衛の没後宝暦8(1758)年に家督を継ぐ。同家の経営は彼の代に隆盛を迎え,当時の学者佐藤信季の『漁村維持法』には,60人余の漁夫を抱え,地主としても年々約1000俵の作徳米を得る豪家として紹介されている。地方代官も務めたほか,下総国佐原村(佐原市)の商家伊能三郎右衛門(忠敬)家,同曾我野村(千葉市)の小河原七郎兵衛家などとは姻戚関係に基づく密接な交流があった。惣兵衛は七郎兵衛(号雨塘)と共に俳諧師加舎白雄の門人であり,商品(干鰯など)生産・流通と文化のネットワークを重ねあわせて活躍した地方文人でもあった。<参考文献>『九十九里町誌 各論編』中,『九十九里町誌資料集』7輯上

(原直史)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報