高山藩(読み)たかやまはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高山藩」の意味・わかりやすい解説

高山藩
たかやまはん

江戸時代初期、飛騨(ひだ)国(岐阜県)をおもに領有した藩。1585年(天正13)初代金森長近(かなもりながちか)は、豊臣(とよとみ)秀吉の命で飛騨の松倉城に三木(みつき)氏を滅ぼしたが、関ヶ原の戦いには徳川家康に従い、功により改めて飛騨一国3万8000石を与えられた。1605年(慶長10)高山城を完成して歴代の居城とし、町人を移住させ高山町の基礎をつくった。のち長近は、加増された上有知(こうずち)(美濃(みの)市)に小倉(おぐら)城を築いて移り、高山城は2代可重(ありしげ)に譲った。可重は長近とともに茶の湯をたしなみ、家康・秀忠(ひでただ)父子から信頼された。3代重頼(しげより)は鉱山開発に努め、金山師茂住宗貞(もずみむねさだ)を登用、和佐保(わさほ)、茂住などの鉱山を開掘した。6代頼旹(よりとき)は1689年(元禄2)側用人(そばようにん)として将軍綱吉(つなよし)に近侍したが、翌年免ぜられ、92年出羽(でわ)国上山(かみのやま)(山形県上山市)へ移封され、飛騨は天領となった。理由ははっきりしないが、幕府が飛騨の豊富な山林や鉱山資源に着目したためともいわれている。

[村瀬円良]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高山藩」の意味・わかりやすい解説

高山藩
たかやまはん

江戸時代前期,飛騨国 (岐阜県) 高山地方を領有した藩。金森氏3万 8700石で,一時居城を美濃 (岐阜県) 上有知 (こうずち) に移したが,慶長 12 (1607) ~元禄5 (92) 年再び在封。この年6代頼ときが出羽上山 (かみのやま。山形県) に転出廃藩,以後は天領となった。

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世界大百科事典(旧版)内の高山藩の言及

【高山[市]】より

…1585年(天正13)豊臣秀吉の命により飛驒征服を果たした金森長近が,90年から天神山の城跡に居城を建築し,その北西に新城下町を建設した。以後1692年(元禄5)まで,金森氏6代にわたる高山藩の中心地となる。2代金森可重までの町域は宮川以東・江名子川以南の区域,3代重頼の代には江名子川北岸に左京屋敷,宮川以西に向屋敷が建設され,周辺に町並みが拡大した。…

【飛驒国】より

…長近は美濃上有知(こうずち)に移り,2代可重(ありしげ)が飛驒支配に当たった。以後1692年(元禄5)まで,飛驒一国は高山藩金森氏の支配下にあった。飛驒3郡(吉城,大野,益田)の総石高は3万8764石余(1605)。…

※「高山藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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