アウィディウスカッシウス(その他表記)Gaius Avidius Cassius

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アウィディウス・カッシウス
Gaius Avidius Cassius
生没年:?-175

ローマ総督シリアのキュロス出身。ルキウス・ウェルス帝のパルティア遠征に指揮官として従軍した後,シリア総督,全アシア総督となる。172年エジプトにおける反乱鎮圧。175年,マルクス・アウレリウス帝がドナウ川で死亡したという噂が広まると,自ら皇帝と称し,ビテュニアカッパドキアを除くオリエント諸属州とエジプトを約3ヵ月間支配したが,マルクス・アウレリウス帝のローマ帰還により反乱は失敗し,自分の兵士により殺された。
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関連語 市川

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アウィディウス・カッシウス
Avidius Cassius, Gaius

[生]? シリア
[没]175.7.
ローマ帝国帝位僭称者 (175) 。パルティアを破って東方諸州における全ローマ軍の司令官となった。マルクス・アウレリウス帝治下,帝がドナウ川流域で作戦中に死んだとの誤報を信じて,175年東方で帝位を僭称したが,マルクス帝と対決する前に部下に殺された。

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