カッパドキア(読み)かっぱどきあ(英語表記)Cappadocia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カッパドキア」の意味・わかりやすい解説

カッパドキア
かっぱどきあ
Cappadocia

小アジア東部の高原地帯(現在のトルコ東部)の古代地名。南はトロス山脈、北は黒海、東はアルメニアおよびユーフラテス川、西はトゥズ湖に接している。ただし北部はカッパドキアポントゥスまたは単にポントゥス、中部と南部は大カッパドキアとよばれるようになった。紀元前15~前12世紀にはヒッタイト王国の中心となり、前6世紀よりアケメネス朝ペルシア帝国のサトラピ(州)となった。アレクサンドロス大王の征服後、前301年独立王国が建設されたが、しだいにローマの勢力下に置かれ、紀元後17年ローマ帝国にその一州として併合された。

秀村欣二

世界遺産の登録

1985年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」として世界遺産の複合遺産に登録された(世界複合遺産)。

[編集部]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カッパドキア」の意味・わかりやすい解説

カッパドキア
Cappadocia; Kappadokia

小アジア東部に対する古代地名。南はトロス山脈から北は黒海まで,東はアルメニアおよびユーフラテス川から西はトゥズ湖 (塩湖) にわたるアナトリアの高原地域。一帯凝灰岩が露出し,長期にわたる浸食風化を受けて奇岩群を形成している。前 15~12世紀にヒッタイト王国の中心となり,前6世紀よりアケメネス朝ペルシア帝国のサトラピ (州) となった。アレクサンドロス3世 (大王) の将軍ペルディッカスにより征服された (前 322) 。のち前3世紀中頃よりいくつかの独立国家が建てられたが,17年ローマ帝国の1州として併合された。ギョレメ国立公園として整備され,1985年世界遺産の文化,自然の複合遺産に登録。

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