共同通信ニュース用語解説 「アウシュビッツの終わり」の解説
アウシュビッツの終わり
第2次大戦後半の1944年5~7月、ハンガリーから40万人以上のユダヤ人が列車でアウシュビッツ強制収容所に送られた。2千人を一度に殺害可能な4カ所の大型ガス室がフル稼働した。その後ソ連軍が接近。45年1月、約5万6千人の男女収容者が「死の行進」と呼ばれる西方への移動に出発した。ナチス親衛隊(SS)は同26日、最後に残った大型ガス室を爆破。ソ連軍が翌27日、アウシュビッツに入り施設を解放した。約7千人の収容者が残されていた。ドイツは45年5月に降伏し、初代所長ヘス元SS中佐は46年にドイツ国内で捕まった。ヘスはポーランドに移送後、死刑判決を受け、翌年にアウシュビッツで処刑された。(オシフィエンチム共同)
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