アウシュビッツ強制収容所

共同通信ニュース用語解説 の解説

アウシュビッツ強制収容所

ナチス・ドイツユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に用いた最大規模の強制収容所。1940年、ナチス占領下のポーランド南部オシフィエンチムに開設。ソ連軍が45年1月に解放するまでユダヤ人や少数民族ロマ、政治犯ら約130万人が移送され、110万人以上が犠牲となった。ナチスは解放前、多くの収容者を別の強制収容所に移し、アウシュビッツの遺体焼却炉を爆破、逃走した。「アンネの日記」の作者のユダヤ人少女、アンネ・フランクはアウシュビッツからドイツ国内の強制収容所に移送され、死亡した。(オシフィエンチム共同)

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世界遺産情報 の解説

アウシュビッツ強制収容所

第2次世界大戦中にポーランドを占領したナチス・ドイツはオシフィエンチム市をアウシュビッツとドイツ語名に変え、3つの強制収容所を建設しました。現在アウシュビッツ強制収容所と呼ばれているのは第1収容所です。跡地博物館となっており当時の惨劇を今に伝えています。アウシュビッツ強制収容所の門には「労働は自由への道」という言葉が掲げられています。しかしその言葉とは裏腹に9割以上の人が苛酷な労働と不衛生な環境、ガス室、銃殺拷問などにより自由を手にできぬまま亡くなっていきました。日本の原爆ドームと同様に人類の過ちを象徴する負の遺産として世界遺産に登録されています。

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世界大百科事典(旧版)内のアウシュビッツ強制収容所の言及

【アウシュビッツ】より

…ポーランド南部,ビエルスコ・ビャーワ県の工業都市オシフィエンチムOświęcimのドイツ名。クラクフの西53kmにあり,人口4万6000(1985)。上シロンスク工業地帯の外周部にあり,化学工業とくに有機合成化学コンビナートの存在が知られ,また食品・皮革・金属加工工業が立地する工業都市となっている。交通上の要地でもある。第2次大戦中の占領下(1939‐45)にドイツ軍はマイダネク,トレブリンカ,ヘウムノ,シュツトボ,プアシュフなど各地に強制収容所を建設した。…

※「アウシュビッツ強制収容所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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