アエロフロート・ロシア航空(読み)あえろふろーとろしあこうくう(英語表記)Аэрофлот-Российские авиалинии/Aeroflot-Rossiyskie avialinii

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アエロフロート・ロシア航空
あえろふろーとろしあこうくう
Аэрофлот-Российские авиалинии/Aeroflot-Rossiyskie avialinii

ロシア連邦の航空会社。英語表記はAeroflot-Russian Airlines。略称AFLまたはSU。ソ連時代の1923年、ドブロレット航空とウクライナ航空との合併によって成立し、1932年、社名アエロフロート・ソビエト連邦航空とした。1933年からの第二次五か年計画で民間航空の拡充がうたわれたが、第二次世界大戦で、ソ連の民間航空は壊滅状態に陥った。1946年に始まる第四次五か年計画で再建が図られ、モスクワとソ連主要都市を結ぶ航空ルートが整備された。1956年にはツポレフ設計のジェット機Tu-104が投入され、また1957年にはイリューシン設計のターボプロップ機Il-18が運航を始めた。第六次五か年計画終了時の1958年には35万キロメートルの路線で、820万人の乗客輸送した。1959年にモスクワにシェレメティエボ国際空港が開港し、アエロフロートのハブ空港(拠点となる空港)の機能を果たすことになった。1967年から日本航空と共同でモスクワ―東京の乗り入れが開始され、1970年東京―西ヨーロッパの最短定期航路を開設。1978年には初の国際貨物航空機Il-76を就航させた。1982年には定期路線は100万キロメートルに及び、年間約1億0900万人の乗客を輸送した。また、貨物輸送測量のほか、ヘリコプターでの農薬散布、7億ヘクタールに上る森林パトロール、年10万回以上に及ぶ急患の輸送など、多面的活動を行った。1989年に国際航空運送協会(IATA(イアタ))に加盟

 ソ連崩壊後の1992年7月28日に株式会社アエロフロート・ロシア国際航空に組織替えが行われ、政府が51%の株を保有し、49%は同社の当時の従業員1万4000人以上が保有した。2001年、社名を現在のアエロフロート・ロシア航空に変更した。

 2009年時点で、シェレメティエボ国際空港を拠点に、世界47か国93都市を結んでいる。ロシア国内市場においては、国際定期便の51%、国内便では子会社を含めて18%のシェアをもっている。2006年に国際的な航空連合スカイチームに加盟した。2009年2月時点での保有機101機のうちエアバス型61機、およびB-767型11機、Il-96型6機、Tu-154型23機という構成になっており、継続的に最新鋭機の導入を図っている。2008年には子会社を含めて1160万人を輸送、貨物の輸送量は15万9000トン。総収入46億1380万ドル、純利益3700万ドル、従業員数約2万1000人。本社所在地はモスクワ。

[湯沢 威・上川孝夫]

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