日本大百科全書(ニッポニカ) 「アチェー戦争」の意味・わかりやすい解説
アチェー戦争
あちぇーせんそう
1873~1912年、オランダ東インド政庁の侵略に対するスマトラ島のアチェー王国民の抵抗戦争。1871年スマトラ条約によりイギリスの干渉を排除した政庁は、マラッカ海峡の安全確保を名目にアチェーの保護領化を意図し、1873年4月侵攻を開始した。領主層を主とするアチェー軍は緒戦こそ勝利したものの統一を欠き、1878年までには王都のコタ・ラジャを含む中心部を制圧され、領主層も一部を除き抵抗を放棄した。ところが、1880年代に至り、テゥンク・ディ・ティロらウラマー(イスラム教指導者)層が聖戦を唱えてゲリラ隊を組織し、これに新興領主テゥク・ウマルらも加わり、1890年代なかばまで政庁軍を圧倒した。しかし、これらゲリラ諸隊も1896年以降、フルフローニュらの現地調査を踏まえて、大攻勢に転じた政庁軍に漸次制圧され、1903年スルタンが降伏、多くの領主もこれに続いた。ウラマーの抵抗はなお約10年間続くが、その平定をもって、ほぼ現在のインドネシア全域が植民地化された。
[鈴木恒之]
『鈴木恒之他著『東南アジア現代史I』(1977・山川出版社)』