アッバースミールザー(その他表記)`Abbās Mīrzā

改訂新版 世界大百科事典 「アッバースミールザー」の意味・わかりやすい解説

アッバース・ミールザー
`Abbās Mīrzā
生没年:1789-1833

カージャール朝の第2代シャーであるファトフ・アリー・シャー次子。皇位継承者としてアゼルバイジャン州総督を務める。進取気風に富み,アゼルバイジャンが,オスマン帝国帝政ロシアヨーロッパにもっとも近い先進的文化地域であることを利用して,早くから近代化政策,とくにヨーロッパ的な軍制改革に取り組んだ。しかし,総督在任中の2度の対ロシア戦争(1813,1826-28)では敗北した。
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関連語 坂本

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッバースミールザー」の意味・わかりやすい解説

アッバース・ミールザー
`Abbās Mīrzā, Nā'ib al-Salṭanah

[生]1789
[没]1833. マシュハド
イランカージャール朝皇太子。近代ヨーロッパ軍事技術をイランに導入した。アゼルバイジャン州知事 (在任 1798~99) を経て,ロシア=イラン戦争 (1804~13) ではイラン軍司令官。この敗戦後,軍隊の改革の必要に気づき,1811年最初の留学生をイギリスに派遣。 12年軍事書印刷のためにタブリーズに印刷所を設け,また同地に火薬工場,兵器工場を設置。第2次ロシア=イラン戦争 (26~28) でも再びイラン軍を指揮した。最初は優勢であったが,国王ファトフ・アリー・シャー援軍を送らなかったため敗退した。その後宮廷内の争いに巻込まれ,ホラサン遠征中,死亡。

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