ファトフアリーシャー(英語表記)Fatḥ `Alī Shāh

改訂新版 世界大百科事典 「ファトフアリーシャー」の意味・わかりやすい解説

ファトフ・アリー・シャー
Fatḥ `Alī Shāh
生没年:1771-1834

イランカージャール朝の第2代シャー在位1797-1834年。初代アーガー・ムハンマドの甥。彼の支配した時期は,対外的にヨーロッパ列強間の国際的利害対立なか譲歩を強いられた時代で,インドへの攻略野望をもつナポレオンとフィンケンスタイン条約(1807)を結び,それを阻止しようとするイギリスとイギリス・イラン条約(1814)を結んだ。また,ロシアとの2度の戦争(1804-12,26-27)でカフカス地方の領土を失った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファトフアリーシャー」の意味・わかりやすい解説

ファトフ・アリー・シャー
Fatḥ `Alī Shāh

[生]1771
[没]1834
イラン,カージャール朝第2代のシャー (在位 1797~1834) 。初代のアーガー・ムハンマドの甥。アーガー・ムハンマド没後の王位継承争いに勝って即位したが,インドをめぐるイギリスとフランスの対立に巻込まれて外交的に失政を重ねた。 1813年アフガニスタンのヘラートを奪取したが,その維持に失敗,さらにロシアとの長期にわたる戦争にも敗北。グリスタン条約 (13) およびトルクマンチャイ条約 (28) によって,アラス川以北の領土を失うと同時に,ロシア人の治外法権をも認め,以後ヨーロッパ諸国のイラン侵略への道を開くことになった。

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