アブー・ハーミド
Abū Hāmid al-Gharnātī
[生]1080. グラナダ
[没]1169/1170. ダマスカス
イスラム教徒の旅行家。イスラム世界を広く旅行し,さらに 1136年頃にボルガ河口からハンガリー方面を訪れ,53年頃までそこに滞在。のち,東ヨーロッパから中央アジアを経てイラクに戻り,旅行記『西方へのいざない』 al-Mu`rib an ba`d `Ajā'ib al-Maghrib,『心のはなむけ』 Tuhfa al-Albāb wa Nukhba alA`jābを著わした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアブー・ハーミドの言及
【旅行記】より
…彼の興味の中心は聖地とメッカ巡礼であり,この部分だけで全体の3分の1以上を占めている。 このほかにアッバース朝カリフが921年にボルガ地方へ派遣した使節団の一人[イブン・ファドラーン]の《旅行報告書》,サーマーン朝スルタンの中国使節(942ごろ)アブー・ドラフAbū Dulaf(生没年不詳)の《中国インド紀行》,グラナダ生れの旅行家アブー・ハーミドAbū Ḥāmid(1080‐1169)の諸旅行記,同じくスペイン生れのイブン・サイードIbn Sa‘īd(1213‐86)の諸旅行記,バグダード生れのアブド・アルラテーフAbd al‐Laṭīf(1162‐1231)の知性あふれる《エジプト紀行》,マムルーク朝下《アミール・ヤシュ・ベクのアナトリア・トルコ紀行》,同じくマムルーク朝下のスルタン,カーイト・バイ(在位1468‐96)の《ヒジャーズ紀行》などが代表的なものである。このほかアラビア語以外にもバルフ生れのペルシア人[ナーシル・ホスロー](1003‐61)の《サファル・ナーマ》(ペルシア語),オスマン帝国の軍人旅行家[エウリヤ・チェレビー](1611‐84)の旅行記(トルコ語)などがあり,他のジャンルに比べると少ないとはいえイスラム世界の旅行記文学は中世だけでも20以上を数える。…
※「アブー・ハーミド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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