ハインリヒ6世(読み)ハインリヒろくせい(その他表記)Heinrich VI

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハインリヒ6世」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ6世
ハインリヒろくせい
Heinrich VI

[生]1165. ナイメーヘン
[没]1197.9.28. メッシナ
ホーエンシュタウフェン朝のドイツ王 (在位 1169~97) ,神聖ローマ皇帝 (在位 90~97) ,シリチア王 (在位 94~97) 。フリードリヒ1世 (赤髯王)の子。父帝の強力な政策の成果を継承。彼の時代にはドイツ帝国の版図はブルグンド,イタリアに及び,さらに妃がシチリア王の血縁であったため,南イタリアにも進出し,1194年シチリア王に即位。シチリアを神聖ローマ帝国に永続的に組込むため,家臣に高官職と土地を与え,支配権の強化に努めた。彼の政治で特筆すべきことは帝位の世襲化をはかったことで,この代償として,諸侯には封の世襲と,直系が絶えた場合に傍系の相続を認めようとした。これに対してケルン大司教を頭目とする反対勢力があり,その和解のため十字軍を組織することになり,その準備中にマラリアにかかり夭折した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハインリヒ6世」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ[6世]
Heinrich Ⅵ
生没年:1165-97

シュタウフェン朝のドイツ国王(在位1169-97),神聖ローマ皇帝(在位1191-97)。父フリードリヒ1世存命中,1169年3歳でドイツ国王,父王死後91年神聖ローマ皇帝。シチリア王女コンスタンツェとの結婚を通じて同王国の相続権を得,94年パレルモで戴冠。シチリアとドイツの両王国をシュタウフェン家の世襲王権のもとにおくため,96年,いわゆる〈世襲王国プラン〉をドイツ諸侯に提案したが拒否される。97年,十字軍をおこしたがマラリアのため32歳の若さでメッシナにて急死戦士というより,文人的な教養の広い君主であった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハインリヒ6世」の解説

ハインリヒ6世(ハインリヒろくせい)
Heinrich Ⅵ.

1165~97(在位1190~97)

ドイツ,ホーエンシュタウフェン朝第3代の神聖ローマ皇帝。フリードリヒ1世の子で,1169年ドイツ王。イングランド王リチャード1世の抑留事件を通じ,父帝以来の宿敵ヴェルフェン家と和した。

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世界大百科事典(旧版)内のハインリヒ6世の言及

【シチリア王国】より

…王国の政治は12世紀中葉に一時動揺したが,グリエルモ2世Guglielmo II(在位1172‐89)によって秩序が再建された。しかし男系が絶えたため,グリエルモ1世の妹コンスタンツァと結婚したホーエンシュタウフェン家のハインリヒ6世が王位継承権を主張し,各地の抵抗を鎮圧して即位した(在位1194‐97)。彼の死後,王国は教皇インノケンティウス3世の仲介によってハインリヒの子フリードリヒ2世(在位1198‐1250)に受け継がれたが,その際に,教皇はノルマンのシチリア征服以来王国が教皇の封臣であることを宣言した。…

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