アラファート

百科事典マイペディア 「アラファート」の意味・わかりやすい解説

アラファート

パレスティナ解放機構(PLO)の議長エルサレム生れ。カイロ大学卒業。1952年パレスティナ学生連盟議長に就任,1957年には解放組織ファタハFatahを創設した。1969年PLO議長に就任,解放闘争の最高指導者になった。1988年11月のパレスティナ民族評議会でパレスティナ国家の独立を宣言した。PLO主流派として,非宗教的かつ(イスラエルとの妥協も含む)現実的な路線をとり,1993年にはパレスティナ暫定自治合意(オスロ合意)にいたり,1996年パレスティナ自治政府代表。1994年イスラエルのラビン首相らとともにノーベル平和賞。→パレスティナ問題
→関連項目アッバスダルウィーシュハマースファタハラビン

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世界大百科事典(旧版)内のアラファートの言及

【巡礼】より

…巡礼者は,縫目のない2枚の白布イフラームiḥrāmをまとい,イスラム法の定める清浄な状態になって,巡礼月7日までにメッカに到着し,その日はカーバを7回まわり(タワーフṭawāf),サファーとマルワの間を7回駆足で往復する(サーイsa‘y)。その夜または翌朝,ミナーとムズダリファを経てアラファート‘Arafātにいたり,9日にラフマ山に集まってウクーフwuqūfを行う。ウクーフはメッカのカーディーの説教(フトバ)やコーランの読誦を聞きながらラッバイカ(われ御前にあり)に始まる掛声を叫び続けることで,ウクーフのないハッジュは無効とされる。…

【PLO】より

…パレスティナ・コマンドの名前は,一躍パレスティナ人の間のみならず,アラブ世界に広く知られるところとなった。その結果,69年2月には,ファタハの指導者アラファートYāsir ‘Arafāt(1929‐ )がPLOの執行委員会議長となり,PLOはパレスティナ解放を目ざす独立の政治組織として全面的に再編された。それは内閣に当たる執行委員会と国会に当たるパレスティナ国民会議(PNC)をもち,正規軍としてパレスティナ解放軍(PLA)をもつ。…

※「アラファート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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