現代外国人名録2016 「マフムードアッバス」の解説
マフムード アッバス
Mahmoud Abbas
- 職業・肩書
- 政治家 パレスチナ解放機構(PLO)議長,パレスチナ自治政府議長,ファタハ議長 元パレスチナ自治政府首相・内相
- 国籍
- パレスチナ
- 生年月日
- 1935年3月26日
- 出生地
- サファド(イスラエル)
- 別名
- 通称=アブ・マゼン〈Abu Mazen〉
- 学歴
- ダマスカス大学法学部卒,モスクワ大学卒
- 学位
- 博士号(モスクワ大学)
- 経歴
- 1948年の第一次中東戦争でパレスチナを脱出、シリアのダマスカスで法律を学ぶ。’57年カタールに亡命中、アラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長らの祖国解放運動に共鳴し、’65年PLO主流派のファタハに参加。以後アラファト議長の右腕となり、中央委員を経て、’80年PLOの内閣に相当する執行委員会メンバーに選出される。’87年4月PLO民族・国際関係局長。’89年ファタハ議長。アブー・ジハード、アブー・イヤドらPLOの実力者が暗殺されて以後、PLOナンバー2となる。’93年イスラエルとの秘密交渉を取り仕切り、9月PLO代表として米国ホワイトハウスにおける歴史的なパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)に導く。’96年5月PLO事務局長、パレスチナ自治政府和平交渉代表。2003年4月パレスチナ自治政府初代首相に就任、内相も兼務。同年6月米国のブッシュ大統領、イスラエルのシャロン首相との3者会談で“イスラエルとパレスチナ2国家の平和的共存”を実現させる決意を宣言し、同年7月シャロン首相との首脳会談を行う。同年9月和平プロセスの推進をめぐってアラファト議長と対立し首相を辞任。2004年11月アラファト議長の死去に伴いPLO議長に就任。2005年1月パレスチナ自治政府議長に当選。対話による紛争決着を目指す穏健派で、同年2月シャロン首相との会談で停戦を宣言。2006年初めて選挙に参加したイスラム原理主義組織ハマスが議会の過半数を得、ハマスのイスマイル・ハニヤ首相を承認。2007年3月ハマスとファタハの合意がなされ、ハニヤ首相の下で挙国一致内閣が誕生したが、ハマスとファタハの抗争が激化し、6月ハニヤ首相を罷免。2009年8月ファタハ議長に再選。2012年2月暫定内閣の首相兼務。1970年代にモスクワ大学で博士号を取得した学究肌の知略家で、国際法やパレスチナ離散に関する著作もある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報