ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バラク」の意味・わかりやすい解説
バラク
Barak, Ehud
イスラエルの軍人,政治家。首相(在任 1999~2001)。旧名は Ehud Brog。リトアニアからの移民である父親が 1932年に創設したキブツで生まれた。1959年にイスラエル国防軍に召集されて輝かしい軍歴のスタートを切り,このとき改名した。1967年の六日戦争(第3次中東戦争)と 1973年の十月戦争(第4次中東戦争)では戦闘指揮官を務めたが,特に奇襲攻撃を指揮する特殊部隊の司令官として名をはせた。1968年にエルサレムのヘブライ大学で物理学と数学の理学士号を取得,1978年にアメリカ合衆国のスタンフォード大学で経済システム工学の修士号を取得した。1990年代半ばに政界へと転身し,労働党政権下で 1995年に内務大臣,1995~96年に外務大臣を務めた。1996年5月にイスラエル国会(クネセト)議員に初当選を果たす。1997年6月労働党党首に就任し,1999年に労働党連合「一つのイスラエル」を結成して首相選挙に立候補,56%をこえる得票率で当選した。首相就任後は中東和平の達成を公約に掲げ,1999年9月パレスチナ解放機構 PLOの指導者ヤセル・アラファトとの和平交渉を再開。同 1999年12月,3年以上膠着していたシリアとの和平交渉を再開し,17年間に及ぶイスラエルによる南部レバノン占領も終結させた。2000年12月首相を辞任し,その後政界を離れたが,2007年労働党党首に再選され,政界に復帰した。
バラク(八剌)
バラク
Baraq
[没]1271
チャガタイ・ハン国第7代のハン (在位 1266~71) 。チャガタイ・ハン (察合台汗)の孫イェスン・ドゥワの子。 1266年に第6代ハンのムバーラク・シャーを捕えてハン位についた。ハイドゥ (海都)が反乱を起すと戦って敗れ,69年和解,マーワラー・アンナフル (トランスオクシアナ) の3分の2の領有を認められた。翌年イル・ハン国に侵入してアバカ・ハン (阿八哈汗)に撃退され,のち急死。
バラク
Barak
バラク
Balak
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