アングロカトリック主義(読み)アングロカトリックしゅぎ(その他表記)Anglo-Catholicism

改訂新版 世界大百科事典 「アングロカトリック主義」の意味・わかりやすい解説

アングロ・カトリック主義 (アングロカトリックしゅぎ)
Anglo-Catholicism

オックスフォード運動の影響によってよりカトリック的となったアングリカン・チャーチ内の高教会派の立場をいう。初代・中世教会との連続性を保証するものとして,使徒継承にもとづく主教制と普遍的教会の2信条(ニカエア,使徒)を強調する。宗教改革がもたらしたプロテスタント的性格を極力否定し,ローマ・カトリック教会,東方正教会,古カトリック教会等との教義・職制面での一致を主張する。信仰生活の面ではサクラメント聖礼典,秘跡)的側面を強調し,洗礼聖餐だけではなく,堅信礼,告解(個人懺悔),結婚,叙階(聖職按手),終油をサクラメントと認める。典礼においては宗教改革以前に用いられていた教会堂内の装飾(十字架像,ろうそく)や祭服(チャジブル,アルブ)を復活し,大斎始日(灰の水曜日)での灰の使用を回復したため,広教会派や低教会派との間に争いが生じたが,19世紀末までには市民権を獲得した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアングロカトリック主義の言及

【アングリカン・チャーチ】より

…安定したかに見えた国教会体制はスチュアート朝の登場によって危うくされ,1640年,絶対王政と結びついた主教制と祈禱書は廃止されたが,60年王政復古とともに再確立し,ピューリタンは信従を拒否して非国教徒となり,88年の名誉革命後は自由教会を形成した。 イギリス国民の海外進出とともに始まるアングリカン・チャーチの海外伝道は福音宣教協会(Society for the Propagation of the Gospel in foreign parts,略称SPG)と教会宣教協会(Church Missionary Society,略称CMS)によって進められ,オックスフォード運動以後は,前者がアングロ・カトリック主義を,後者が低教会派の福音主義を標榜して世界各地で伝道に努めた。日本では1859年アメリカ聖公会のC.M.ウィリアムズとリギンズJohn Ligginsが最初の宣教師として伝道を開始し,CMSが69年,SPGがその4年後に最初の宣教師を送り込んだ。…

【高教会】より

…名誉革命後,ウィリアム3世への臣従を拒否したものが高教会派に多かったため,教会と国家の首脳部が低教会派を優遇する時代が続いたが,キーブルJohn Keble,ピュージーEdward Bouverie Pusey,J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって,高教会派はふたたび活気づけられ,以後アングリカン・チャーチ内の一大勢力として今日に至っている。高教会派のなかでよりカトリック的な立場はアングロ・カトリック主義と呼ばれ,16世紀の宗教改革者らの貢献を否定し,礼拝・信仰生活面でカトリック的慣行を大幅に復活させたため,低教会派の厳しい批判を受けた。アングリカン・チャーチ【八代 崇】。…

※「アングロカトリック主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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