アン・ソンギ(読み)安 聖基(その他表記)Ahn Sung-kee

現代外国人名録2016 「アン・ソンギ」の解説

アン・ソンギ
安 聖基
Ahn Sung-kee

職業・肩書
俳優

国籍
韓国

生年月日
1952年1月1日

出生地
慶尚北道大邱

学歴
韓国外国語大学ベトナム語科〔1974年〕卒

受賞
大鐘賞最優秀新人賞(第19回)〔1980年〕「風吹く良き日」,大鐘賞主演男優賞(第21回・22回・24回・32回・44回)〔1982年・1983年・1985年・1994年・2007年〕「鉄人たち」「霧の村」「ディープ・ブルー・ナイト」「トゥー・カップス」「ラジオスター」,百想芸術大賞映画部門演技賞(第25回・27回)〔1988年・1991年〕「成功時代」「誰が龍の爪を見たのか」,利川春史大賞映画祭主演男優賞(第1回)〔1990年〕「南部軍」,青龍賞主演男優賞(第11回・27回)〔1990年・2006年〕「南部軍」「ラジオスター」,アジア太平洋映画祭最優秀主演男優賞(第38回)〔1992年〕「ホワイト・バッジ」,スポニチ文化芸術大賞(第5回)〔1997年〕「眠る男」,青龍賞助演男優賞(第22回)〔2001年〕「MUSA―武士」,日経アジア賞(文化部門,第13回)〔2008年〕

経歴
父が映画会社役員で、1957年5歳の時「黄昏列車」で映画デビュー、名子役として50本を超える作品に出演。高校時代は学業に専念し、韓国外国語大学に進みベトナム語を学ぶ。’74年大学卒業後、砲兵部隊の観測将校として軍に服務。’76年中尉で除隊、’78年映画界に復帰。’80年「風吹く良き日」(李長鎬監督)に地方青年役で主演、大鐘賞最優秀新人賞を受賞。’84年には裴昶浩監督の「鯨とり」に主演、大ヒットする。’80年代に韓国映画界のトップスターの地位を築く。その後も「南部軍」(’90年)や「ホワイト・バッジ」(’92年)など社会性の強い作品に出演。大鐘賞や青龍賞の主演男優賞など数々の賞を受賞。他の代表作に「曼荼羅」(’81年)、「鉄人たち」「霧の村」(’82年)、「ディープ・ブルー・ナイト」(’84年)、「於宇同(オウドン)」(’85年)、「チルスとマンス」(’88年)、「トゥー・カップス」(’93年)、「太白山脈」(’94年)、「祝祭」「パク・ボンゴン家出事件」(’96年)、「ザ・ソウルガーディアンズ―退魔録」「美術館の隣の動物園」(’98年)、「NOWHERE 情け容赦無し」(’99年)、「キリマンジャロ」(2000年)、「黒水仙」「酔画仙」「MUSA―武士」(2001年)、「ピアノを弾く大統領」(2002年)、「シルミド」(2003年)、「デュエリスト」(2005年)、「光州5・18」「墨攻」(日中韓香港合作)、「韓半島」「ラジオスター」(2006年)、「最高のパートナー」(2007年)、「神機箭(シンギジョン)」(2008年)、「7鉱区」(2010年)など。この間1995年に日本映画「眠る男」(小栗康平監督)に出演。2003年からアシアナ国際短編映画祭の実行委員長を務める。2000年スクリーン・クォーター守護大使団団長、2006〜2009年韓国俳優協会理事長、2011年申栄均芸術文化財団初代理事長。また、ユニセフ親善大使や日韓共催ワールドカップ・サッカーの広報大使を務めるなど社会活動にも積極的に参加。俳優人生は50年に及び、韓国映画界を牽引するオピニオンリーダーとしての役割も果たし、韓国では“国民俳優”と称されている。評伝に村山俊夫著「アン・ソンギー韓国『国民俳優』の肖像」がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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