アントニオ(読み)あんとにお(その他表記)Antonio Ruiz Soler

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アントニオ」の意味・わかりやすい解説

アントニオ
あんとにお
Antonio Ruiz Soler
(1921/1922―1996)

スペインの舞踊家。通称グラン・アントニオ。セビーリャの生まれ。従姉(いとこ)のロザリオRosario(1918―2000)と組み、1928年にデビューした。その後カルメン・ローハCarmen Rojas、ロジータ・セゴビアRosita Segoviaを相手役として踊った。アルヘンティーナアルヘンティニータがおもにスペイン古典舞踊を踊ったのに対し、彼はファルーカ、アレグリアスなどのフラメンコを踊り、クラシック技法との融合を図って現代のフラメンコ・ダンサーの先駆けとなった。1938年に南米公演を行った後、1940年にニューヨークでデビューを果たし、1966年には旧ソ連公演を実現するなど、ほとんど全世界を巡回公演した。映画『ハネムーン』(1959)に出演したり、ファリャの『恋は魔術師』『三角帽子』などをテレビ番組としてプロデュース(1974)したりしている。汗と狂気のダンサーで、「アンダルシアのドゥエンデ」(踊り手に憑(つ)く魔物)に取り憑かれているようにみえた。

市川 雅・國吉和子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アントニオ」の意味・わかりやすい解説

アントニオ
Antonio

[生]1921.11.4. セビリア
[没]1996.2.5.
スペインの舞踊家。本名 Antonio Ruiz Soler。5歳のとき,いとこのロサリオと組んでベルギー万国博覧会に出演,天才児チームとして一躍名をなした。 1938年南米に公演し,40年指揮者 L.A.S.ストコフスキーの紹介によりニューヨークでデビュー。その後,自身の舞踊団を組織,66年スペイン市民戦争後初めてのスペイン舞踊団としてソビエトを訪問。クラシック・バレエからフラメンコまでレパートリーは広く,映画『ハネムーン』などにも出演した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「アントニオ」の解説

アントニオ

村山等安(むらやま-とうあん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のアントニオの言及

【コンゴ民主共和国】より

… この奴隷貿易は,奴隷狩りを目的とした沿岸諸部族の武力抗争を促し,その影響でコンゴ王国は衰退の一途をたどり,16世紀後半のジャガ族(ヤガ族)の侵攻に際してポルトガル軍の支援を受けたのを契機に,時のコンゴ王アルバロ1世Alvaro I(在位1567‐86)はポルトガル王に忠順を誓い,両国の対等の関係は終りを告げた。その後1665年にポルトガル軍がコンゴ王国を攻撃し,時の国王アントニオ1世Antonio I(在位1661‐65)を殺害した事件をもって両国の関係は断絶するにいたり,コンゴ王国自体も壊滅的な打撃を受けた。 19世紀に入ると奴隷貿易が衰え,ヨーロッパ人によるアフリカ内陸部探検が盛んに行われたのに続いて,同世紀末期にはアフリカの植民地分割競争が本格化した。…

※「アントニオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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