アンダルシア(読み)あんだるしあ(英語表記)Andalucía

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンダルシア」の意味・わかりやすい解説

アンダルシア
あんだるしあ
Andalucía

スペイン南部、地中海の西端と大西洋に面する地方名。ウェルバ、セビーリャコルドバカディスハエンマラガグラナダアルメリアの8県からなる。面積8万7280平方キロメートル、人口735万7558(2001)。アラブの影響をもっとも色濃く残す地方で、フラメンコは本来この地方の踊りである。イスラム文化の遺産が多く、観光都市も多い。一般的に夏は高温で乾燥し、冬は温暖で降雨をみる。地中海性気候であるが、低地では晴天日数が250日にも達し、亜熱帯性植物がみられるのに対し、シエラ・ネバダ山脈の山頂では降雪が3~4か月間ある。地形上、北から南へ、グアダルキビル川低地、シエラ・ネバダ山脈を含むベティカ山系、地中海沿岸部の3地域に分けられる。

 低地はよく灌漑(かんがい)されて農業が発達し、グアダルキビル川低地ではとくにオリーブ栽培が盛んである。ブドウ園も多く、下流の三角州地域では米作を主とする大農場が分布する。夏の乾期にも地下水位が高いため牧草が繁茂するので、伝統的に闘牛用のウシを飼育している。海岸部平野ではサトウキビ、バナナ、綿花なども栽培される。この地方は大土地所有者による大農場経営が支配的で、土地をもたない農業労働者が多く、不在地主や生産性の低い経営が目だっている。山岳地域を中心に鉄、鉛、亜鉛、銅などの地下資源が豊富に産出される。また工業化が進められ、各都市に工場が立地しているが、まだ低開発の状態にある。近年、東部海岸のコスタ・デル・ソルを中心とした観光開発が進んでいる。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

地中海と大西洋に面し、アフリカに近いため、古くから多くの侵入者を迎えた。古代ギリシアの地理・歴史学者ストラボンによると、現ウェルバ近傍にタルテソス王国があって、紀元前1100年ごろカディスを建設したフェニキア人と交易していたという。ギリシア人もマラガ近くのマイナケに植民地をつくっているが、前2世紀にカルタゴポエニ戦争に敗れてから、ローマ帝国の属州となった。その首都コルドバから、セネカルカヌスなど文人が輩出している。

 411年ごろから異民族の侵入があり、西ゴートの支配が続いたのち、711年タリク指揮のイスラムが海峡を渡り、グワダレテの野に西ゴート王ロドリゴを破った。ゲルマン系のバンダル人の王国を、イスラムがバンダリシアとよんだのが、地名アンダルシア」の起源である。初めダマスカスのカリフに従属していたが、アブドゥル・ラフマーン1世(在位756~788)の時代に後ウマイヤ朝を開いて独立、同3世(在位912~961)のころ最盛期を迎えた。ヒシャーム2世の宰相マンスールの死後、統一が崩れ、群小君主国となる。11世紀以降、ムラービト、ムワッヒド両朝が介入するが、1212年トロサの戦いにキリスト教軍が勝利し、1492年、フェルナンド、イサベルのカトリック両王のグラナダ入城とともに、800年にわたる国土回復戦争(レコンキスタ)が終結する。以後、18世紀にかけて、セビーリャ、カディスはアメリカ大陸発展への基地として繁栄した。19世紀以降、フランス軍侵入に対抗してカディスに最高評議会が置かれ、初の憲法を発布するが、リエゴなどによる反乱が多発し、民衆の生活も極度に悪化して「黒い手」という秘密結社が跳梁(ちょうりょう)した。また大土地所有者の勢力が強く、フランコ反乱のスペイン内戦時(1936~1939)には彼を支持して各地に激戦があったが、平和になると、南国の強い日差しとアルハンブラ宮殿のような魅力的な旧跡を求めて、全世界から観光客が押し寄せるようになった。

[丹羽光男]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android