日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファリャ」の意味・わかりやすい解説
ファリャ
ふぁりゃ
Manuel de Falla
(1876―1946)
スペインの作曲家。カディス生まれ。バレンシア地方(父方)とカタルーニャ地方(母方)の血を継ぐファリャは、フランスの友人デュカース、ドビュッシー、ラベルらに強い影響を受けたものの、スペインの民俗的素材をよりどころにした独自の作風を築き、ハンガリーのバルトークにも匹敵する功績を残した。
幼少より母にピアノの手ほどきを受け、ショパンを好んだ。1890年代後半からマドリード王立音楽院でショパンの孫弟子ホセ・トラゴにピアノを、1902年からは同地で作曲をペドレルFelipe Pedrell(1841―1922)に学び、オペラ『はかなき人生』(1905)によって作曲家の地位を築いた。07年から7年間パリに住み、スペイン生まれのピアノ奏者ビニェスや、デュカースらと親交を結んだ。交響的印象『スペインの庭の夜』(1911~15)は印象派の影響を示すが、二つの傑作バレエ『恋は魔術師』(1914~15)と、ディアギレフと組んで作曲した『三角帽子』(1918~19)には、スペイン色が濃く出ている。また人形劇オペラ『ペードロ親方の人形芝居』(1919~22)や、チェンバロ協奏曲(1923~26)にはストラビンスキーへの接近がみられる。しかし、スペイン内戦の勃発(ぼっぱつ)した36年に病を得てからは人前を避けるようになり、39年にはアルゼンチンに渡り、二度と祖国に戻ることなく、アルタ・グラシアに没した。晩年にはみるべき作品は少ない。
[船山信子]
『興津憲作著『ファリャ』(1987・音楽之友社)』