アールパード朝(読み)アールパードちょう(その他表記)Árpád Dynasty

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アールパード朝」の意味・わかりやすい解説

アールパード朝
アールパードちょう
Árpád Dynasty

ハンガリーを支配した最初の王朝 (9世紀末~1301) 。ボルガ川中流域の遊牧民の国家から中欧のキリスト教大国に飛躍した時代に君臨。始祖アールパードマジャール諸部族を率いて9世紀末パンノニア平原に侵入,侯国を築いた。アールパードの子孫は,マジャールの族長が西ヨーロッパ各地に略奪を繰返していた 10世紀前半は目立った役割を演じなかったが,ドイツ王オットー1世 (大帝)に敗北 (955) 後,実権を握り,神聖ローマ帝国との関係改善に努めた。第5代のイシュトワーン1世 (聖王)はキリスト教を採用して王号を許され (01) ,行政の整備,領土の拡張によって国力を増強。ベーラ3世 (在位 1173~96) にいたって,ハンガリーは中欧の強国となった。しかしその死後封建貴族の勢力が台頭,さらにモンゴル人の侵入 (1241~42) を受けて王権は弱体化した。ベーラ4世 (在位 35~70) の治下に一時回復したが,ラースロー4世 (在位 72~90) の治下に大混乱が起り,アンドラーシュ3世をもって断絶した (1301) 。以後ハンガリーは主として外来王朝によって支配されることになる。

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