アールパード(読み)あーるぱーど(その他表記)Árpád

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アールパード」の意味・わかりやすい解説

アールパード
あーるぱーど
Árpád
(?―907)

ハンガリー最初の王朝アールパード朝(~1301)の始祖マジャール部族連合首長およびその一部族で、のちにマジャールの名を残すメジェル部族の長として、大首長クルサーンのもとで諸部族を指揮し、895年にカルパティア盆地に侵入、その地を征服した。このとき、「ドナウとティサに囲まれし大地は余が祖先たる、かのアッティラ大王のものなり」と宣したという伝説が残っている。クルサーンが904年に没したのち大首長となり、諸部族統一の事業を始めた。この間、兵を率いてドイツ、イタリアに遠征し、各地の王から貢ぎ物を受けた。死後その遺体は、古ブダ(ブダペストの旧市街)に注ぐ小川の源に埋葬された。

[家田 修]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アールパード」の意味・わかりやすい解説

アールパード
Árpád

[生]?
[没]907
アールパード朝ハンガリー王国の始祖。889年ペチェネグ族襲撃を受けると,部族長クルシャーンとともに,当時ボルガ川中流域に居住していたマジャール族 7部族を率いて黒海北岸を横断。896年カルパート山脈を越えてパンノニア平原に侵入,さらにロンバルディアバイエルンブルガリアなどを攻撃した。904年クルシャーンの戦死後,マジャール族の最高指導者となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アールパード」の解説

アールパード
Árpád

850頃~907?

ハンガリー最初の大公で,アールパード朝の祖。クルサーンとともにマジャル人を率いて895年頃にカルパティア盆地を「征服」。軍事上の指導者であった。クルサーン死後,権力を独占した。

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世界大百科事典(旧版)内のアールパードの言及

【ハンガリー】より

…彼らがその先祖の故郷であるウラル山脈中・南部付近からカルパティア(カルパチ)山脈を越えてハンガリー盆地(当時のパンノニア)に住みついたのは895年ないし896年のことである。このとき定住したのは7部族で,相互に連盟関係にあり,全部族の長としてアールパードÁrpád(?‐907ころ)を選出した(アールパード朝)。定住後ハンガリー人は西欧へ進出したが,955年にドイツ王オットー1世の軍に敗れ,以後先住のスラブ人から農耕を学びつつ,ハンガリー盆地での国家建設に努めた。…

【マジャール人】より

…このとき密接な関係のあったオノグルOnogur族の名前から,外国語での〈ハンガリー人〉(スラブ語系のvenger,ドイツ語のUngar,フランス語のHongrois,英語のHungary)が出ている。マジャール人は9世紀にはドニエストル川とドン川の間へ移り,895‐896年に族長アールパードÁrpád(?‐907ころ)に率いられて,カルパチ盆地(ハンガリー盆地)に入り,独自の国家を建てた。このときのマジャール人は,7部族で40万~50万人とされている。…

※「アールパード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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