イギリス領西アフリカ国民会議(読み)いぎりすりょうにしあふりかこくみんかいぎ(その他表記)National Congress of British West Africa

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

イギリス領西アフリカ国民会議
いぎりすりょうにしあふりかこくみんかいぎ
National Congress of British West Africa

1920年代のイギリス領西アフリカ(ゴールド・コースト〈現、ガーナ〉、ナイジェリアシエラレオネガンビア)に組織された民族主義運動組織。1913年にゴールド・コーストの弁護士ケイスリー・ヘイフォードを中心に、4地域の代表が一堂に集まって、アフリカ人の民族的自覚、西アフリカ諸国の統一を目ざして討議する計画がたてられ、第一次世界大戦後の1920年3月アクラで第1回会議が開催された。会議の出席者は、ゴールド・コースト40名、ナイジェリア6名、シエラレオネ3名、ガンビア1名で、いずれも弁護士、医師、ジャーナリストなどの職業をもつエリート層であった。会議は、各地域での立法審議会の設置、官吏制度における人種差別撤廃、アフリカ人の課税拒否権、大学の設置などの要望事項を決議し、代表11名をロンドンに派遣して植民省に提出したが、イギリス側はこれを軽視した。国民会議は1923年にフリータウン、1925年にバサースト(現、バンジュル)、1930年にラゴスで開催されたが、会議の支持層は、各地の沿岸部に住む西欧教育を受けたエリート層に限定され、一般大衆とは離れ、伝統的部族首長の支持も少なかった。1930年ケイスリー・ヘイフォードの死とともにこの運動は消滅したが、1930年代後半に始まる民族主義運動の礎石となった。

[中村弘光]

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