翻訳|Freetown
西アフリカ,シエラレオネの首都。人口79万(2004)。シエラレオネ半島北岸にある天然の良港で,内陸の農産物,鉄鉱石,ダイヤモンド,クロム鉱などの輸出港である。国際空港ももつ。シエラレオネ大学を中心に学術・文化の施設もあり,船舶修理,石油精製,醸造,タバコ,製靴などの工業も発達している。1562年にイギリスの奴隷商人ジョン・ホーキンズがこの地に上陸したことがあるが,町の基礎は1787年にイギリスの奴隷廃止論者が解放奴隷を入植させたことに始まる。92年には奴隷廃止論者が創立したシエラレオネ会社がノバ・スコシア(現,カナダ東南部)から解放奴隷を入植させ,この町をフリータウンと命名した。1808年にイギリス政府に接収されてシエラレオネ植民地創設の前線基地となり,大西洋上で解放された奴隷の安住の町として発展した。08-74年の間はイギリス領西アフリカ全体の主都として機能し,1827年にはアフリカ人の高等教育機関として,のちのシエラレオネ大学の母体となったフーラー・ベイ・カレッジが創設され,西アフリカ各地のアフリカ人官吏や企業家を教育した。1961年に独立したシエラレオネの首都となった。
執筆者:西野 照太郎
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西アフリカ、シエラレオネの首都。人口82万2000(1999推計)。シエラレオネ半島の突端に位置し、シエラレオネ川が注ぐ深い入り江を有する天然の良港で、同国の主要港となっている。パーム、コーヒー、ココアや鉄鉱石、クロム鉱などを輸出し、船舶修理、ダイヤモンド研磨、水産物加工などの工業も発達している。近くにルンギ国際空港がある。1792年イギリスの奴隷廃止論者グランビル・シャープGranville Sharp(1735―1813)が解放奴隷の入植地として建設し、彼の創立したシエラレオネ会社がイギリス、カナダ南東部、西インド諸島などから解放奴隷を移住させた。1808年にイギリスの直轄植民地になってからは、奴隷貿易禁止を監視するイギリス海軍の基地となり、大西洋上で解放された奴隷の安住の地として発展した。解放奴隷の子孫はクレオールとよばれ、のちにフリータウン市政の中心グループを形成した。1827年西アフリカ最初の高等教育機関フーラーベイ・カレッジ(現、シエラレオネ大学)が設置された。
[中村弘光]
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…正式名称=シエラレオネ共和国Republic of Sierra Leone面積=7万1740km2人口(1996)=461万人首都=フリータウンFreetown(日本との時差=-9時間)主要言語=英語,クレオール語通貨=レオネLeone西アフリカ南西部,大西洋に面する共和国で,北半をギニア,南東をリベリアと接している。国名は,15世紀にヨーロッパ人として初めてこの地を訪れたポルトガル人が,現在の首都フリータウン背後の山で雷鳴がとどろくのを聞いて,ライオン山地Serra Lyoaと名づけたのに由来するという。…
…正式名称=シエラレオネ共和国Republic of Sierra Leone面積=7万1740km2人口(1996)=461万人首都=フリータウンFreetown(日本との時差=-9時間)主要言語=英語,クレオール語通貨=レオネLeone西アフリカ南西部,大西洋に面する共和国で,北半をギニア,南東をリベリアと接している。国名は,15世紀にヨーロッパ人として初めてこの地を訪れたポルトガル人が,現在の首都フリータウン背後の山で雷鳴がとどろくのを聞いて,ライオン山地Serra Lyoaと名づけたのに由来するという。…
※「フリータウン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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