ガンビア(読み)がんびあ(英語表記)Republic of The Gambia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガンビア」の意味・わかりやすい解説

ガンビア
がんびあ
Republic of The Gambia

西アフリカの西端にある共和国。ガンビア川に沿う細長い国土は、ちょうどセネガルに指を突っ込んだような形をなす。面積1万1295平方キロメートルで新潟県より狭い。人口151万(2006推計)、170万(2009推計)。人口密度は1平方キロメートル当り151人(2009)。1965年イギリス連邦内の自治国として独立、1970年共和国となった。首都はガンビア川河口のセント・マリー島にあるバンジュル(旧名バサースト)で人口は40万6000(2007年推計)。国民の約半分が農民で、主としてラッカセイを栽培する。1人当り国民総所得(GNI)は390ドル(2008)と低い。国土を囲むセネガルとの統合は何度も計画された。1982年に合邦が実現しセネガンビア連邦を発足させたが、1989年合邦破棄。

[藤井宏志]

自然

国土はガンビア川中・下流の延長470キロメートルの河谷に、20~50キロメートル幅で細長く延び、沿岸の沖積平野には耕地や疎林が広がっている。海水の影響を受ける下流の河岸や海岸にはマングローブがみられる。ガンビア川は急流や滝がなく乾期にも水量があるので、3000トンの船が280キロメートル上流のジョージタウンまでさかのぼれる。気候は、サバナ気候の一種の熱帯スーダン気候(熱帯降水不安定気候)に属し、乾期(11~6月)と雨期(6~10月)が明瞭(めいりょう)で、年降水量は1200ミリメートル前後である。雨期に雨がないと干魃(かんばつ)の被害を生じることが多い。3~6月はきわめて暑く、12月から翌年の4月にかけては比較的涼しく過ごしやすい。

[藤井宏志]

歴史

15世紀なかばポルトガルの船がガンビア川河口の入り江に入り、1588年からイギリス商人の勢力下に置かれ、奴隷や象牙(ぞうげ)を積み出した。17世紀後半から18世紀後半にかけイギリスとフランスの争奪の場となったが、1783年以後イギリスの植民地となり、1889年フランスとの協定でセネガルとの国境線が確定した。第二次世界大戦後の1954年9月の憲法制定で自治政府への一歩を踏み出し、1962年4月新憲法発布、1963年10月に内政の自治を認められ、1965年2月18日イギリス連邦内の独立国となった。1970年4月には共和国を宣言、初代大統領には首相で人民進歩党PPP)党首のダウダ・ジャワラSir Dawda Jawara(1924―2019)が就任した。

 1982年2月セネガルとの統合により「セネガンビア連邦」が発足したが、完全統合論のセネガルと主権維持論のガンビアが対立し、1989年協定破棄。1994年7月、軍によるクーデターでジャワラは失脚、中尉ジャメYahya Jammeh(1965― )が統治評議会の議長に就任し、1996年7月までに憲法制定、民政移管を行うとした。

[藤井宏志]

政治・経済

1996年8月、国民投票により新憲法が成立。同年9月、憲法に基づく複数政党制で大統領選が行われ、愛国再建同盟(APRC)のジャメが当選し、10月大統領に就任した。1997年1月の議会選挙でも与党APRCが49議席中33議席を占め、ほかは統一民主党が7議席、国民和解党が2議席などであった。1996年9月、政府は長期計画「ビジョン2020」を発表。インフラ(経済基盤)整備、工業化促進、農産物の増産などを目標としている。2001年10月に行われた大統領選でジャメが再選された。2006年9月の大統領選挙でもジャメが当選(三選)、翌2007年1月の議会選挙も与党APRCが勝利した。

 産業面ではラッカセイが作付面積の80%、ラッカセイおよびラッカセイ油が総輸出額の18%を占めるラッカセイ・モノカルチュア(単一作物生産)の国である。このほか、商品作物としてアブラヤシ、綿花、ライム、タバコ、カシューナッツ、自給作物では米、アワ、モロコシソルガム。イネ科の穀物)、トウモロコシキャッサバ(南米原産の根茎作物。根を食用とし、タピオカの原料となる)、バナナなどを栽培する。牧畜も盛んで、ウシ33万頭、ヒツジ・ヤギ43万頭を飼育する。有用木材ではマホガニーがあり、家具や容器になる。淡水漁業、沿岸漁業が行われ、エビの漁獲がある。地下資源はまだみるべきものはないが、石油の探査が行われている。工業は未発達で、ラッカセイ、アブラヤシの製油工場や水産加工工場があるのみである。輸出品目はラッカセイおよびラッカセイ油が32.8%、水産物が25.6%、輸入品目は日用工業製品、食料品、機械類などである。貿易収支は大幅な輸入超過である。主要輸出相手国はセネガル、イギリス、フランス、輸入相手国はデンマーク、中国、イギリスである。他の西アフリカ諸国と同様にレバノン商人が活躍する。セネガルとは統計にのらない貿易が行われている。河川交通が発達し、バンジュルが中心貿易港で、国際空港もある。

[藤井宏志]

社会・文化

国民は複数の部族からなり、中央から西部へ住むマンディンゴ人(42%)、東部のプール人(18%)をはじめ、ウォロフ、セレル、ジウラ、アク(解放奴隷の子孫)の各部族がある。各部族語が話されるが、公用語は英語である。宗教は90%がイスラム教(イスラーム)で、残りはキリスト教、アニミズムである。年人口増加率は2.7%と高い。平均余命は男56歳、女57歳(2007)である。医師1人当りの国民数は1万4536人(1996)である。教育は、義務教育の小学校の上に工業学校、中学校、高校、師範学校、農業専門学校がある。小学校の就学率は74%(2006)である。ガンビアには同性愛は違法とする刑法が残っており、大統領のジャメは2008年、同性愛者は国外退去あるいは斬首(ざんしゅ)(死刑)にすると述べ、国際人権団体から抗議を受けた。ラジオ・テレビは国営局と商業局があり、新聞は政府紙と数社の一般紙がある。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」「セネガンビアのストーン・サークル群」が登録されている。

 日本へは、初代大統領ジャワラが3回来訪し、日本から水産技術協力を受けている。貿易では日本から鋼板、合繊織物、自動車などを輸入しており、日本の輸出超過である。

[藤井宏志]

『バークレー・ライス著、杉辺利英訳『愉快なガンビア建国記』(1968・朝日新聞社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガンビア」の意味・わかりやすい解説

ガンビア
The Gambia

正式名称 ガンビア共和国 Republic of The Gambia。
面積 1万689km2
人口 228万6000(2021推計)。
首都 バンジュル

アフリカ大陸西端部の国。三方をセネガルに囲まれ,西は大西洋にのぞむ。東西に細長い国で,ガンビア川に沿う。国土全体が標高 100m以下の低地で,河岸は狭い森林帯,ほかは全般的にサバナ。かなり乾燥した熱帯気候で,年平均気温は西部で 25℃,東部で 28℃。 1455年ポルトガル人が到来,1588年ポルトガル人はガンビア川における独占通商権をイギリス商人に売却,以後イギリスの勢力下に入った。 1681年頃からフランス人が進出,両国が領有を争ったが,1783年のベルサイユ条約により,イギリス支配に帰した。一時はシエラレオネ植民地や西アフリカ植民地の一部となったが,1889年セネガルとの境界が確定,1894年単独のイギリス保護領となった。 1954年から次第に自治権を拡大し,1965年独立。 1970年共和国となった。 1982年セネガルとセネガンビア連邦を結成したが,1989年解体。主産業はラッカセイ栽培で,経済はラッカセイとその加工品の輸出に依存。ほかの輸出品はパーム核,皮革,蜜ろう,干し魚など。自給用としては米,トウモロコシ,ミレットなどを産し,牧畜,漁業も行なわれる。工業は落花生油製造など食品加工業が主。おもな住民はマリンケ族をはじめウォロフ族,ジョラ族,フラニ族 (→フルベ族 ) などで,セネガルとほぼ共通。セネガルからラッカセイ栽培に従事する多数の季節労働者が来ている。 90%以上がイスラム教徒。公用語は英語。

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