改訂新版 世界大百科事典 「イサコボ文化」の意味・わかりやすい解説
イサコボ文化 (イサコボぶんか)
A.P.オクラドニコフによって1950年に提唱されたバイカル地方新石器編年の第2期で,前4千年紀に比定される。アンガラ川右岸,イサコボIsakovo村から10.5km離れた段丘上の2基の墓を基準に命名された。第2号墓からの出土物は,猪牙製装身具,植刃骨槍,丸のみ石斧,石鏃などがあり,北東頭位の伸展葬人骨が検出された。第1号墓からのみ,土器破片が出土し,織布文(編目文)の文様をもっている。この期の墓は,ポノマリョボ,ブラツキー・カーメニなどで調査され,丸底で,口縁部に刺突文と斜位の刻みがあり,地文に織布ないし網目の押捺文をもつ土器が出土している。同種の土器は,ザバイカル地方のムヒン文化やチンダント文化,さらにヤクーツク地方のスイアラフ文化など,きわめて広範囲に認められている。オクラドニコフらによると,イサコボ文化の土器がシベリア新石器最初期の土器ということになるが,最近の調査では,イサコボ文化に先行する土器が明らかになりつつある。レナ川支流,ビチム川右岸ウスチ・カレンガUst'-Karenga遺跡出土のジグザグ連弧文土器は,9000年前の年代をもつ可能性がある。
執筆者:加藤 晋平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報