日本大百科全書(ニッポニカ) 「イシン・ラルサ」の意味・わかりやすい解説
イシン・ラルサ
いしんらるさ
Isin-Larsa
イシンもラルサも、メソポタミア南部にあった古代都市。メソポタミアに侵入したセム系の遊牧民族アムル人(アモリ人(びと))は、エシュヌンナ、イシン、ラルサを征服し、ここに定着して急速にシュメール・アッカド化した。紀元前1950年ごろ、イシュビ・エッラIšbi-Erraはイシンに、ナプラーヌムNaplānumはラルサにそれぞれ王朝を樹立し、覇を争ったのでイシン・ラルサ(王朝)時代(前1950~前1700ころ)とよばれる。諸王は、シュメールのウル第3王朝の王のように自らを神格化する君主崇拝制度を採用し、神王として女神イナンナ(イシュタル)と聖婚の儀式を新年祭に行っている。またシュメールの「ウルナンム法典」を模し、イシン王朝5代の王リピット・イシュタルはシュメール語による「リピット・イシュタル法典」を残している。ラルサは5代の王グングヌムGungunumのころより台頭した。イシンの現名はイシャン・バフリヤートIšān-Bariyātで、ニップールの南方約20キロメートルの地点にあり、1923年にスティーブンソンK. Stevensonによって発見され、73年以降ドイツ隊によって本格的な発掘が続けられている。ラルサは現名センケラーSenkerah、ウルクの南東約20キロメートルに位置した。1932年以降パローAndré Parrotらによって発掘された。
[吉川 守]