メソポタミア最南部の古代都市で,シュメールの中心都市の一つ。その名はシュメール語のウヌグunugに由来し,旧約聖書ではエレクEreck,現在名はワルカWarkaである。第1次大戦直前にJ.ヨルダンらのドイツ隊により最初の大規模な発掘が行われた。1928年に発掘が再開され,60年までの断続的な発掘ののち,現在発掘はほぼ恒常化している。エアンナ神域では前4千年紀初頭のウルク18層まで確認され,ウバイド期の細区分,つづくウルク期の時期設定のために重要な知見を提供した。ウルク期後期からウルクは急激に発展し,巨大な諸神殿が建設された。ウルク期末期からは現存最古の粘土板群が出土,つづくジャムダット・ナスル期の粘土板とあわせ,最初期のシュメール研究に不可欠な情報源である。初期王朝I期からII期にかけてウルクはさらに大膨張し,巨大な防壁を建設,城壁内の面積は400haにも達する。〈シュメール王朝表〉によれば,〈大洪水〉ののちキシュ第1王朝につづいてウルクの諸王がシュメール内外に覇を唱えた(ウルク第1王朝)。王朝のエンメルカル,ルガルバンダ,ギルガメシュを主人公とする叙事詩が後代に成立し,とりわけ《ギルガメシュ叙事詩》は著名。ギルガメシュはキシュ第1王朝の最後の王アガと同時代(初期王朝II期)の人物とされる。初期王朝III期後半にもウルクは有力都市であった。ルガルザゲシはウンマからウルクに拠点を移し,シュメールを軍事占領するがアッカドのサルゴンに敗北。前22世紀にはウトゥヘガルがシュメール人の再独立に寄与した。ウル第3王朝時代にもウルと特殊な関係を保ち繁栄した。イシン・ラルサ時代にはシンカシド王があらわれるが,そののちラルサのリムシンによりウルクは破壊された。前2千年紀中葉のカッシート王カラインダシュはウルクに神殿を建設。新バビロニア時代からアケメネス朝,セレウコス朝時代にかけてのウルクから多くの粘土板が出土している。セレウコス朝期にはギリシア名をもつ総督が出現した。パルティア時代にも建設活動が活発に実施されるが,以後しだいに放棄された。
執筆者:前川 和也
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古代メソポタミア南部のシュメールの都市。現在のイラク南東部の都市サマーワの東約40キロメートルに位置する。シュメール語ウヌグUnug、アッカド語でウルク、現代名ワルカWarka(イラク)、『旧約聖書』のエレクErech。市の守護神はイナンナ(セム語名イシュタル)。ギルガメシュ叙事詩の英雄の故郷である。楔形(くさびがた)文字の最古形である絵文字の発見された都市で、この原文字の時代はウルク期とよばれる。遺跡の周囲が10キロメートルに及ぶ大都市で、約4000年の歴史をもつ。1849年、1851年に試掘が行われたが、本格的な発掘は、ドイツ・オリエント学会の派遣したヨルダンJulius Jordan(1877―1945)、ハインリヒErnst Heinrich(1899―1984)らによって1913年から1939年まで15回にわたって行われた。その後もレンツェンHeinrich Jakob Lenzen(1900―1978)その他によって発掘が続けられた。文字の発明と粘土板の使用のほか、諸種の金属器、印章の使用、巨大な建築物、とくにエアンナ神殿、白神殿とそのジッグラトなどで有名である。
[吉川 守]
ウルクの遺跡は、2016年、「南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影」の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の複合遺産(世界複合遺産)に登録された。
[編集部 2018年5月21日]
シュメール最古の都市の一つ。都市神は,天の神アンと女神イナンナ。楔形文字の原型になる最古の絵文字が出土した。この都市はシュメールの統一に重要な役割を果たす。シュメール語の英雄叙事詩が伝説上のウルクの王ギルガメシュなどを主人公とするのは(『ギルガメシュ叙事詩』),こうした歴史的事実が反映するのであろう。以後,アケメネス朝,ヘレニズム時代まで存続した。
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…南メソポタミアにおいてウバイド期(ウバイド文化)に続く前5千年紀後半から前4千年紀中ごろまでの文化。シュメール都市ウルクの中心にあるエアンナEanna地区のXIV~IV層を標式とする。ウルクは1辺約2.5kmの不整方形の城壁で囲まれ,神殿や宮殿などの建造物,個人の家,墓地と田園がそれぞれ3分の1を占めていたと推測される。…
…この文字体系をシュメール人から借用して表記された言語には,セム系のアッカド語(またはバビロニア語),アッシリア語,エブラ語,系統不明なエラム語,カッシート語,系統的に親縁性が立証されつつあるフルリ語と古代アルメニアのウラルトゥ語,インド・ヨーロッパ語族系の言語である小アジアのヒッタイト語,パラ語,ルウィ語およびヒッタイト王国の原住民の言語であったハッティ語などがあり,エジプトのアマルナ,シリアのウガリト,イスラエルその他からも多数のシュメール系楔形文書が発見され,国際的に広く通用していたことがわかる。
[起源と歴史]
シュメール系楔形文字の最古資料はメソポタミア南部の遺跡ウルクの第IV層で発見された絵文字に近い古拙文字で,前3100年ころに比定されている。同種の文字は他の遺跡から発見されていないので,文字の発明はおそらくこの時期にウルクにおいて行われたと思われる。…
…この期中に沖積平野の中・南部の優位が確立し,シュメールの地が発展の先頭に立つことになる。
[都市形成期]
次の考古学的時期であるウルク期(前3800‐前3000ころ?)には轆轤(ろくろ)製の無文土器と円筒印章の製作が始まり,末期(ウルクVIII~IV層)にはウルクを先頭にシュメール南部に都市形成の動きがおこり,ウルクは面積約100haに達し,大神殿がいくつも造営され(最大は縦80m,横30m),青銅器が製作され,IV層ではついに粘土板に刻まれた絵文字群が出現する。そこには支配者をさす称号〈エン〉,人々の集りをさす〈ウ(ン)キン〉,役職や手工業職種を示す文字,シンボルによる神名,牛・ロバ・羊・ヤギ・大麦・ナツメヤシ・犂(すき)・魚類を示す文字などが,複雑な数体系を暗示する数字とともに書かれていた。…
…本項では歴史の流れを考慮し,アッカド美術をも記述に含める。 シュメール美術の作品例は,ウルク期(前3800ころ‐前3000ころ)のころからのものが知られている。この時期にメソポタミア南部の都市ウルクでは,聖域エアンナEannaに神殿複合体が造営された。…
…シュメール地方では前6千年紀後半のウバイド期(ウバイド文化)にはいってはじめて人間の居住跡が見いだされる。とりわけ最南部のエリドゥではウバイド1期から前4千年紀後半のウルク後期(ウルク文化)に至るまでの時期に,原初的な小祠堂が大規模な神殿へと連続的に発展していた。この事実に注目する学者は,ウバイド期にすでにシュメール文化の原型が成立していたとみなす。…
※「ウルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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