アモリ人(読み)あもりじん(英語表記)Amorites

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アモリ人」の意味・わかりやすい解説

アモリ人
あもりじん
Amorites

古代の西セム人に属し、アムル人ともいう。アッカド語ではアムッルAmurru、シュメール語ではマルトゥMartu。アムッルは西方を意味する。アモリ人は地中海沿岸カナン周辺の遊牧生活から、紀元前3000年ごろシリアのユーフラテス川中流に定着し、前2200年ごろからメソポタミアに入った。シュメール文明の影響を強く受け、スム・アブム王が出現するに至って、当時アッカド地方を支配していたウル第3王朝を滅ぼし(前2004)、バビロンでアモリ王朝を創設した。これがバビロン第1王朝で、6代目のハムラビ王(在位前1792~前1750)の時代に最盛期に達し、バビロニア全土を支配する大帝国となった。バビロン第1王朝は前16世紀に滅亡するが、この種族は西方のマリアレッポなどを拠点として活躍している。言語は前12世紀までにバビロニアから消滅するが、その勢力はシリアやパレスチナでは依然として有力であった。しかし特別な王国を築くことはなかった。

[糸賀昌昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アモリ人」の意味・わかりやすい解説

アモリ人
アモリじん
Amorites; Amurru

前 2000年頃から前 1600年頃までメソポタミア,シリア,パレスチナを支配した西セム系種族。アムル人とも呼ばれる。初期王朝時代以来,手に負えない遊牧民としてシュメール人たちに知られ,ウル第3王朝滅亡の一要因とされている。前2千年紀後半に,アッシュールにおいてはイラー,カブカブーが,マリにおいてはヤーギド,リム王位につき,短期間であるがアモリ人のバビロン第1王朝を開いた。またバビロンに王朝を開いたハンムラビ一族もアモリ人である。前 1600年頃から前 1100年頃までにアモリ人の言語はメソポタミアから消滅したが,シリア,パレスチナ方面では依然として優勢であった。

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