ラルサ(その他表記)Larsa

改訂新版 世界大百科事典 「ラルサ」の意味・わかりやすい解説

ラルサ
Larsa

イラクウルク南東約15kmにある都市遺跡。現在名シンカラSinkara(センケレSenkere)。ウル第3王朝(前2112-前2004)の滅亡後まもなく成立したアモリ(アムル)系独立王朝の首都で,その第5代王グングヌム(在位,前1932-前1906)のときにウルを支配下に入れ,それ以後北のイシンとの間で南メソポタミアの支配権を二分した。同王朝第14代王リムシン(在位,前1822-前1763)のときにライバルのイシンを倒すが,その約30年後には自身がバビロンのハンムラピ王に滅ぼされてその最盛期を終える(前1763)。太陽神シャマシュ祭儀の中心地の一つとしても有名。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラルサ」の意味・わかりやすい解説

ラルサ
Larsa

ウルクの南東 32kmに位置するバビロニアの古代都市。現イラクのタルサンカラー。前3千年紀から人間の住んだ跡があり,前 2025年頃アモリ人ナプラヌム (在位前 2025頃~05) が王朝を創始。前 1924年5代目のグングヌムがイシンのリピト=イシュタルを敗北させて以来,ウル,ラガシュ,ウルクなどシュメール,アッカドの大都市を支配下に収め優勢を保った。またインドとユーフラテス川流域をつなぐ通商も行われた。しかしラルサの最後の王リム=シンが,前 1770年頃バビロンのハンムラビに倒されるに及んで,南メソポタミアにおけるラルサの支配は終りを告げた。 1933年に A.パロによって発掘され,新バビロニア,セルジューク朝時代の遺跡とともにジッグラト神殿,ヌル=アダド王の宮殿跡が発見された。

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世界大百科事典(旧版)内のラルサの言及

【イシン】より

…当時の南メソポタミアには他にライバル勢力がなく,イシン王朝は成立後約100年にわたって南メソポタミアに君臨する。しかし法典授与者として知られる第5代王リピトイシュタルの頃,南のラルサに強力なアモリ(アムル)系王国が出現,以後約1世紀以上にわたりラルサとの勢力争いが間欠的に続くが,前1794年ラルサに滅ぼされた。イシンの主神は医療の女神ニンイシンナ(時々グラ女神と同一視される)で,その配偶神はパビルサグである。…

【メソポタミア】より

…またギルス(ラガシュ),ウンマ,ニップール,プズリシュ・ダガン,ウルから無数のウル第3王朝時代文書が出土している。アッカドシュメール
[イシン・ラルサ,バビロン第1王朝時代]
 ウル第3王朝の崩壊後,南部メソポタミアではアムル人を中核とする小国家が分立した(イシン・ラルサ時代)。イシュビエラが創始した中部バビロニアのイシン王朝は,ウル第3王朝の政治理念を踏襲した。…

※「ラルサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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