イラン核問題

共同通信ニュース用語解説 「イラン核問題」の解説

イラン核問題

2002年、イランの18年間にわたる核開発計画を在米のイラン反体制派が暴露した。米英仏独ロ中の6カ国とイランは13年11月、問題解決へ向けた暫定合意を結んだ。これを受けイランは濃縮度5%超のウラン製造を凍結、米欧は対イラン制裁の一部を解除した。15年7月に双方は包括解決に向けた行動計画で最終合意。この核合意に伴いイランは遠心分離機や保有する濃縮ウラン数量削減、重水炉の改造などを進め、16年に米欧は制裁を解除した。しかしトランプ米政権が18年に核合意からの離脱表明。イランも19年に入って核合意の制限を越える濃縮活動を再開した。

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知恵蔵 「イラン核問題」の解説

イラン核問題

2002年にイランの反体制組織や米国が相次いで秘密の核施設を指摘、パキスタンのカーン博士による「核の闇市場」から技術提供を受けたことも判明し、イランの核兵器開発疑惑が一挙に強まった。 中東の大産油国ながら将来の資源枯渇対策のため原子力発電が必要だと主張するイランは、核の番人、国際原子力機関(IAEA)に核計画を申告し直し、核兵器開発を否定。米国との仲裁に入った英独仏との交渉で03年にウラン濃縮活動の一時停止に合意したが、05年6月の大統領選で保守強硬派のアフマディネジャド氏が当選。中部ナタンズの施設でウラン濃縮を再開し、06年4月には低濃縮ウラン製造に成功、07年4月には産業規模の生産能力を持ったと宣言した。 核不拡散条約(NPT)加盟国として平和利用の権利を主張するイランに対する国際社会の不信は根強く、IAEAは問題を国連安全保障理事会に付託安保理は06年12月、07年3月と2度の経済制裁を決議した。一方で、事実上の核保有国イスラエルを放置し、米国ほか核保有国の核軍縮も進まないなかで、イランの核問題はNPT体制の矛盾を露呈させた。米国は英独仏とともに3度目の制裁決議に向けた議論を進めるが、南部ブシェールで原発建設に協力するロシア、原油輸入でイランへの依存を強める中国の2大国が制裁強化に消極的だ。さらに07年12月に米国は「イランは03年から核兵器開発を停止しているとみられる」とする機密報告書を公表、イランの核の脅威を唱える米国の主張が大幅に後退した内容といえ、決着の行方はより不透明となっている。

(安東建 朝日新聞記者 / 2008年)

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