知恵蔵 「ウォーレン・バフェット」の解説
ウォーレン・バフェット
幼少期から、投資や経営の才覚を発揮した。6歳で祖父が営む食料雑貨店から仕入れたコーラを訪問販売して利益をあげ、11歳で初めてシティ・サービス社の株を購入、売却して利益を出した。15歳までに土地に投資し、17歳で、中古のピンボール台を購入して理髪店に置き、利用料を店と折半するというビジネスを始め、事業として成立させた。
ペンシルベニア大学ウォートン校ファイナンス学科で投資について学び、1949年、ネブラスカ大学に編入した。その頃、「バリュー投資の父」と呼ばれる経済学者、ベンジャミン・グレアムの著書『賢明なる投資家』を読み、影響を受ける。50年に同大を卒業、コロンビア大学ビジネススクールに進学し、グレアムから投資理論を学んだ。
51年に同大ビジネススクールを卒業し、父親が経営する証券会社での勤務を経て、54年にはグレアムの資産運用会社であるグレアム・ニューマンに入社した。同社が解散した56年、オマハで投資会社、バフェット・アソシエイツを設立し、幾つかの投資会社を結成した後、62年頃、全ての投資会社をバフェット・パートナーシップに統合した。
また62年、当時は繊維会社だったバークシャー株の購入を始め、翌63年に筆頭株主となる。65年に同社の会長に就任、69年のバフェット・パートナーシップ解散後は、バークシャー社の経営に専念し、繊維事業を縮小(85年に閉鎖)して、投資事業に軸足を移す。以後は食料品から衣料、家具、保険、不動産といった多様な業種の企業を次々と傘下に収め、経営の多角化を進めた。それと同時に幅広い分野の企業に投資し、利益をあげている。
バフェットは投資により、幾度も様々な企業の経営危機を救っている。社長が自殺し、妻が社長となった米日刊紙、ワシントン・ポスト株を73年に取得し、翌74年には取締役に就任、社長へのアドバイスを通して、同社の業績回復を助けた。76年には、多額の赤字を抱えた損害保険会社、ガイコ株を購入し、経営危機を救っている。更に87年、投資銀行、ソロモン・ブラザーズが買収攻勢に遭った際は、同社の株を引き受け、91年には、米国債の不正入札事件などで経営が傾いた同社の会長に就任して立て直した(92年に退任)。
慈善事業家としても有名で、2006年には、約370億ドル(約4兆円)を、米マイクロソフト社創業者のビル・ゲイツ夫妻が創設した財団、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団などに寄付している。
私生活では、1952年に結婚した前妻との間に、二男一女がいる。前妻とは後に別居、2004年に死別し、06年に現在の妻と再婚している。
(南 文枝 ライター/2017年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報