20世紀西洋人名事典 の解説
ウラジーミル マクシーモフ
Vladimir Emel’yanovich Maksimov
1932 -
ソ連の小説家。
レニングラード(モスクワ説あり)生まれ。
少年時代から国内の各地を転々とし、新聞記者を経て、文筆生活に入る。中編小説「われらは大地を蘇らす」(1961年)をパウストフスキーに認められ、作家としの地位を確立する。ソ連の現実を暴露した長編「創造の7日間」(’71年)、「検疫」(’73年)を執筆するが、国内での出版が禁じられ、国外で出版して国際的な反響を呼び、第2のソルジェニーツィンとして高く評価される。’73年反体制活動によりソ連邦作家同盟を除名、翌’74年フランスに亡命し、パリで亡命ソ連人の文芸誌「コンチネント」誌編集長を務めている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報