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検疫 けんえき quarantine

翻訳|quarantine

7件 の用語解説(検疫の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

検疫
けんえき
quarantine

国内に常在しない感染症が外国から侵入するのを防ぐために,空港,海港,国境などで,入国者や輸入物品について,診察,検査,隔離など,必要な措置をとること。日本では検疫法に基づいて実施され,ペストエボラ出血熱ラッサ熱などが検疫感染症に指定されている。

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デジタル大辞泉の解説

けん‐えき【検疫】

[名](スル)国内に常在しない感染症の病原体が持ち込まれるのを防ぐために、港や飛行場などで、旅客・貨物などを検査し、必要に応じて隔離・消毒その他の措置を行うこと。「植物検疫」「検疫官」

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百科事典マイペディアの解説

検疫【けんえき】

伝染病の侵入,まん延を防ぐため必要な検査や措置をとること。国内検疫と国際検疫とに分けられる。(1)人の場合は伝染病予防法の規定により,法定伝染病指定伝染病を含む)について,必要に応じて国内検疫,特に船舶,列車,電車などの検疫を行う。
→関連項目獣医植物防疫法馬術

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栄養・生化学辞典の解説

検疫

 外国からの病原菌などの侵入を防ぐ目的で,人を含めた生物の検査をすること.

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世界大百科事典 第2版の解説

けんえき【検疫 quarantine】

防疫のうちの感染源・感染経路対策の一つ。伝染病に曝露した健康接触者に対してその潜伏期間中,病気の伝播を防ぐ目的で行動制限を行うこと。またそのために空港,海港で実施する検査とそのシステムをいう。quarantineはイタリア語で40日間を意味するが,1377年ペスト予防のためにイタリアでレバントおよびエジプトより入港する船を40日間係留したことから,検疫の意味に用いられるようになった。国内には常在せず,病原体が海外から持ち込まれた場合のみ流行する伝染病を外来伝染病というが,この外来伝染病の対策として検疫が行われる

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大辞林 第三版の解説

けんえき【検疫】

( 名 ) スル
感染症などの予防のため、人・貨物・家畜などの検査・診察を行い、必要な場合には隔離・消毒・廃棄などの措置をとること。通例、外来の感染症予防のため、海港・空港・国境などで行う。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

検疫
けんえき
quarantine英語
quarantaineフランス語

原語のquarantineは、伝染性の疾患にかかったおそれのある人間その他の動植物、またはそれを媒介するおそれのある物品などについて、その無害性が納得されるまで特定の地域においてその交通、移動を制限または禁止して隔離、停留するとともに、それらの無害化のために治療、消毒、廃棄などを含む防疫措置一般を施行する衛生上の危機管理をさす。日本では明治政府による「検疫所quarantine station」の創設とともに一般化したことばであるため、国内に常在しない伝染病(感染症)の国外からの侵入を防止する目的で、検疫法に基づいて海港、空港において旅客や貨物などに対して検疫所また検疫官が行う、診察、検査、隔離、廃棄などの法制度上の措置のことに限って使われることがほとんどである。ヒト以外の動物や植物を対象とするものとして、それぞれ家畜伝染病予防法、および植物防疫法に基づく動物検疫植物検疫がある。[西澤光義]

歴史

病気が伝染するものであるかもしれないというおそれから、病者との接触を忌避するために極端な方策がとられることがしばしばあったことは、『旧約聖書』「レビ記」の記述などによっても知られる。
 ヨーロッパでは、中世以来繰り返されたペストの大流行時における過酷なまでの検疫、隔離の例が、14世紀のフィレンツェについてG・ボッカチオにより、また比較的遅くは18世紀のロンドンについてD・デフォーにより記録されているのがよく知られている。
 これらの記録例でもわかるように、伝染病がいったん都市社会に侵入してしまうと、検疫、隔離の措置は対象も多く熾烈(しれつ)なものになりやすいにもかかわらず、効果はかえって疑わしいものであったから、人口密集地への侵入以前に、それを阻止できるような制度としての検疫が必要であると考えられるようになった。
 ヨーロッパにおけるペスト(黒死病)の最盛期であった14世紀には、それがしばしば東方よりもたらされることが多かったため、モンゴル族侵入の記憶とも結び付き、黒海沿岸や地中海東岸地方からの交易船に対する警戒意識が、イタリア、フランスの地中海沿岸港で高まった。1348年ベネチアは、交易船監視を行う公衆衛生保護官を置いた。さらに1423年には市外に恒常的な検疫、係留施設をつくった。ベネチアでは、初め30日、後に40日間、船を港外に係留して、公衆衛生保護官の監視下に置くこととし、この間に疫病の発生をみた場合には退去させた。この「40日quarantina」が「検疫quarantine」の語源である。
 この検疫のベネチア方式はジェノバ(1467)、マルセイユ(1476)などでも取り入れられ、やがてヨーロッパ全域で踏襲されていったが、これはヨーロッパ型近代国家の成立過程にあって、検疫が国家防衛の基礎的装置として制度化されていったことを意味している。完成された制度としての国境は、外側から順に検疫、入国管理、税関によって、それぞれ身体的・法律的・経済的に規定されるべきものとなっていったのである。このような版図、領域としての国家に対して、交通、流通、通商などは本質的に越境的であらざるをえないものであったので、経済の自律に基づく資本主義国家は国境線においてその構造的ジレンマをもっともよく表現することになった。
 すなわち検疫制度においては、一律的な40日間の入港延期処置に対して早くから異議申し立てが行われたが、16世紀には最終寄港地当局による衛生証明書の発行が慣例化され、この証明書を携行している船は、臨検時に伝染病が発見されない限りただちに港湾の使用が許可されるようになった。一方、17、18世紀を通じてアメリカ大陸との通商拡大に伴う黄熱病、イスラムのメッカ巡礼に伴うコレラなど、検疫の対象は次々に拡張されていった。このような新たな脅威に対する厳格な対応への要請と、一般的な措置の能率化の要求とは、ときに矛盾をはらみつつも、現在に至るまでその時々の制度改革の基底をなす二つの流れとなって続いている。
 前記のような検疫措置の方式や対象の多様化は、各港湾ごと、また各監督官ごとの恣意(しい)的な対応を許す温床ともなり、19世紀に入ると制度の構造的腐敗はもはや耐えがたいものとなっていた。1851年パリで初めての国際衛生会議が開かれた。当時、政治的対立が海洋貿易国家と農工業生産国家との間にあり、医学的対立が病原感染論と環境汚染論との間にあって根深いものであったが、この会議以降少なくとも西洋先進諸国間では、検疫制度の協調的運用への道が模索されることになった。しかし、条約や規則による実体的な国際協調の気運は、結局20世紀に入って、1920年の国際連盟の成立を待たねばならなかった。1926年の国際衛生条約、1933年の国際航空衛生条約、1948年の世界保健機関(WHO)発足、1951年の国際衛生規則を経て、1969年の国際保健規則(IHR)のWHO総会での採択によって、ほぼ世界的な規模において加盟各国がこれに基づいて国内法を整備し検疫措置をとることができるような国際的な基準が整った。その後、現在に至るこの規則の改定は、より医学的・科学的根拠に基づくものであるように努力されているといえる。一方、対テロ対策を強化するというような視点が導入されるときは欧米主導型の価値観が優先する(アラブ世界からの主張)という批判もありえる。このように、合理的な全地球的国際協調に対する反対要因として、歴史文化的差異、南北間格差があり、潜在的に鋭い対立をはらんでいる。また、ヨーロッパ連合(EU)にみられるような国家から広域共同体への移行は、必然的に国境機能としての検疫を解消していくものと思われる。[西澤光義]

日本における検疫の概念と制度

「えやみ」「ときのけ」などとよばれた伝染性の疾患は、日本では、下痢症状を特徴とする「痢」と、皮膚の発疹(ほっしん)を特徴とする「疹」または「瘡(そう)」がおもなものであった。「痢」において、病者の糞便(ふんべん)や病床に接することを戒めることは古くから知られていたが、それ以上に厳格な隔離、検疫に相当する処置は、元来風土病として存在していたと思われる「痢」「疹」については記載がない。これに対して、朝鮮半島経由の外来性疾患と考えられる痘瘡(とうそう)(天然痘(てんねんとう))については、厳重な衛生措置の記録があるのは注目される。12世紀、藤原通憲(みちのり)(信西(しんぜい))編の『本朝世紀』残巻には、この病を「異病」と称して、別居をつくり病者を「喪にあるもののごとくに」隔離したという記述がある。下って1806年(文化3)、池田錦橋(きんきょう)著の『国字痘疹(とうしん)戒草』にも「肥後(ひご)国天草(あまくさ)、熊本、周防(すおう)国岩国、紀伊国熊野、信濃(しなの)国木曽山中、御嶽(おんたけ)山の辺等において、痘瘡患ふものあれば、一郷一村を隔て、人家を去ること一二里にして、山野深谷に小屋をしつらひ、或(あるい)は農家を借りて傍人を附け置きて、食物など、始(はじめ)に運ばせ、一家親類たりとも出入りを止めて、医を迎へて薬を用ふることも少なし」とある。この記述は、疾患伝播(でんぱ)の方向性、山岳民族(山人(やまびと))中心の検疫措置情報の伝達経路などを示唆していてまことに興味深い。
 19世紀(江戸後期)になると外来性伝染病の主役はインド由来のコレラにとってかわられ、1822年(文政5)には第一次大流行をみた。1855年(安政2)、長崎に開設された海軍伝習所では、当初から「カランテーレン(オランダ語で検疫所の意)」に関する言及がなされていたことは勝海舟(かつかいしゅう)の証言がある。1862年(文久2)、幕府は洋書調所に命じて虎列刺(コレラ)病に対する予防、疫学、治療などの要件を諸書にあたって編訳せしめ、杉田玄端(げんたん)、箕作阮甫(みつくりげんぽ)、坪井信良、子安鉄五郎などによって『疫毒予防説』が刊行された。このなかで「quarantine(キュアランタイネ)」が初めて検疫法と訳されて、当時のヨーロッパにおける措置、方策が詳細に紹介されている。しかしながら、日米和親条約以降、不平等条約下にある幕府にはそのような施策を実行に移す意志も力もなかった。
 1879年(明治12)、太政官(だじょうかん)布告により「海港虎列刺病伝染予防規則」が制定されたが、これはいわゆる不平等条約の対象外の清(しん)や朝鮮との間の便船を想定対象として、これらの地域でのコレラ流行時における臨時的措置を定めたものにすぎなかった。これに基づいて、横須賀(のちに移転して横浜郊外長浜)に消毒所(のち検疫所)が設けられたが、これは鹿鳴館(ろくめいかん)時代を反映して、想定対象とは別に諸外国の目を意識して完備された施設を整えようとしたものであり、当時の日本の水準をこえた新奇ハイカラなものであった。一方、このような浮薄な動向に対して、細菌学、公衆衛生学それぞれの歴史的背景にまで目をやりながら、輸入されつつある衛生概念を的確に整理し、防疫、検疫、建築、都市計画などに対する基礎概念の一つとして位置づけたのが森鴎外であった。この概念の普及を図るとともに、伝染病危機管理のための実行部隊としての「消毒隊」の設置などを提起した鴎外の明治20年代初頭の活動は注目に値する。
 1894年以降、ようやく順次条約改正に成功した明治政府は、1899年それらの条約の実施にあたって、海港検疫法に基づく検疫所の設置、裁判管轄権の議定、関税法の公布による関税率の引上げなどを次々に行って、近代独立国家としての形態を国境線において整えることができた。なお、1899年9月、横浜検疫所では検疫医官補として勤務していた野口英世がペスト患者を発見し、菌の同定、船の停船命令など初の検疫措置発動に関与している。
 海港検疫所は当初は内務大臣の管理下にあり、1927年(昭和2)航空検疫規則により始まった航空機を対象とする検疫もこれに準じたが、1938年、内務省より分離独立した厚生省の所管となった。第二次世界大戦敗戦により、検疫は1945年からは一時、連合国最高司令官総司令部(GHQ)指揮下に入った。1950年には検疫主体は日本政府に戻されたが、在日駐留軍に関する検疫は除外され、この名残(なごり)は現在も日米地位協定による特例措置として存続している。1951年、日本はWHOに加盟、国際衛生規則に準拠する形で検疫法が制定され、これが日本の海・空港における検疫の法的根拠となった。以後その施行令の改正は、人権や通商の円滑を重視し、医学常識の変化や新たに防疫を必要とする疾患に対応するべく頻回に行われながら現在に至っている。[西澤光義]

検疫所の仕事

検疫法に定められた全国80余か所の検疫港、20余か所の検疫空港に対して、検疫所13か所およびその支所、出張所が設置されている。船舶の検疫では、船の国籍、船籍を問わず外国から日本の港に入港しようとする船の船長は、その第1番目の港を管轄する検疫所長に対して、感染症患者の有無などに関する検疫前通報をすることが義務づけられている。現在この通報は、無線を備えていない船などごくわずかな例外を除いて、すべて無線による連絡情報に基づいて明告書の形で提出される。これを受けて、とくに問題がなければ検疫済証を交付して港湾使用を許可する(無線検疫、1971年より導入)か、明らかに問題が認められるなど、その疑いのある場合は、当該船に黄色の検疫要請旗を掲げさせたまま、港内所定の検疫区域または桟橋に停船させて、検疫艇により出向した検疫官が乗船して検査する(臨船検疫)。検疫感染症に該当する患者がいる場合、あるいはその病原体に汚染されたおそれのある場合は、患者の隔離、接触者の停留、汚染物などの消毒、移動禁止、廃棄などの措置をとる。航空機の検疫は、機内に感染者がいる場合には船舶に準じた措置がとられるが、病気の潜伏期間に比べて航行時間が短いため、患者を発見できる可能性は少なく、水際での防疫に明らかな原理的限界がある。さらに、出入国者のほとんどが航空機を利用し、海外渡航者の数が飛躍的に増大した今日では、実務的限界もまた明らかとなっている。検疫感染症その他の疾患の汚染地域を発航または寄航する便の乗客に対しては、機内で質問票を配付して記入を求め、到着後ターミナル内の検疫カウンターでこれを回収してチェックするなどの方法がとられているが、自主的申告に頼るものであることに変わりはなく、その申告を動機づけるべき外来感染症に対する市民の危機意識も、日本では国内の安全が行き渡った結果、同程度の経済、社会体制にある諸外国に比べてかえって低いレベルにあるといわざるをえない現状である。
 そのほか、検疫法で定められている業務には、人や貨物に対する検疫感染症(とくに輸入生鮮魚介類におけるコレラなど)の病原体の有無を調べる衛生学的検査、船舶および航空機に対するネズミ族や虫類の駆除、飲料水や汚水の検査、海・空港内およびその周辺の衛生調査、世界の感染症や健康に関する情報の収集と提供、予防接種の実施とその証明書の発行などがある。ただし、現在一部の国への入国にあたって国際予防接種証明(イエローカード)が必要とされることがある疾患は黄熱病のみである。
 また、これらとは別に、1951年以降、厚生本省が行ってきた輸入食品の安全性に関する検査が、1982年度から検疫所で行われるようになったが、これは食品衛生法に基づく業務である。輸入食品の種類およびその量の圧倒的な増加に伴って、この監視、検査業務はいまや検疫所の人的活動力の大半を奪うものとなっているにもかかわらず、流通の大量化、高速化、多様化のなかでは、その無作為抽出による規定項目検査の意味は疑わしいものになりつつあるのが実情であり、狂牛病(BSE、ウシ海綿状脳症)に汚染された食肉の規制や、海外(とくに中国)で加工された輸入食品の安全性確保など問題は山積している。[西澤光義]

検疫の将来像

船舶検疫においてはその大部分が無線検疫によっていること、空港検疫では旅客に対する水際の防疫はすでに実体を失っていること、輸入食品監視では日常的な検査は全体の数%にも達しないこと。これらの事態は、近代国家の国境線もまた、外敵防御の目的を達成できなかった「万里の長城」同様、人間の圧倒的な活動性の前には、いつか踏み越えられてゆく政治的「仕切り」にすぎなかったことを示しているようだ。この意味は、ベルリンの壁の崩壊も東西冷戦の枠組みを越えて、むしろ「定在する境界」に対する「経済原則に基づく交通」の勝利の象徴のように思われる。そもそも検疫が対処すべき「感染症の流行」や「食品の安全性」などは特定の国や国民に固有の問題であるわけではなく、本質的には「人類」というレベルで考えるべき問題である以上、その対応もまた、さしあたって全地球的(グローバル)であるほかはないものである。
 20世紀において「国際協調」がさまざまな分野で具体化したことは、この世紀が比較的単純な形で全地球的標準(グローバルスタンダード)を信じることができ、またその標準に準拠することが進歩であると思うことのできた世紀であったことを示している。しかしながら、一方で20世紀が未曽有(みぞう)の戦争の世紀であったとすれば、そのような単純な標準化のもたらす矛盾がつねに露呈して、ついに人類や科学の進歩という概念を終焉(しゅうえん)せしめた世紀であったともいえる。20世紀を終えた現在のわれわれにとって、「グローバル」とは境界を廃絶した一様な世界の標準の向こう、直線的な時間の彼方(かなた)にみえてくるようなものではないだろう。生物界において一見排他的にみえる「棲(す)み分け」が、別の視野、別の次元からみれば「共生」の表現形であるように、ヒトもまた歴史的・文化的に規定されて棲み分けつつ、全地球的に共生するべく運命づけられた存在なのであろう。グローバルとはそういう視点をもたらすもののことであるはずである。
 このような認識に基づくならば、将来的な検疫とは、人類の健康的・衛生的危機に対処するための危機管理装置・システムとして作動するもののことになるだろう。そのためには、これまで地理的な境界線として考えられてきた検疫の前線を視野、次元の異なる二つの方向に展開し直す必要がある。第一は、起こりうる危機を予測するための情報の前線。第二は、いまそこで起こりつつある危機の現場。第一の前線では、明日の危機を予見するための高度な情報収集と情報解読の能力が必要となる。次にくるヒトの感染症を流行以前に予測するには、全地球という生態系のなかでウイルスやバクテリアの生態動向に迫らなければならない。企業ベースでたとえば近日中に宣伝されようとしている改良食品があるとすれば、その安全性確保のためには、遺伝子工学や合成化学の最新の知識ばかりでなく、需要と供給と企業論理のなかで、それらがいつ、どこで、どのように製品化されたのか、またされうるかを理解し予測する社会学的・経済学的情報処理も必要であろう。第二の前線では、迅速な起動力と強力な現場管理の臨時行政権をもつ実行部隊とその指令部が必要である。これは疫学知識に基づくサンプリング能力、的確な病理鑑別診断能力、厳格な指揮監督能力、経済原則にのっとった制裁や補給への配慮など、いつでもどこへでも展開できる感染危機対策の作戦部隊としての要件を満たすように、思いきった権力委譲を前提にして組織するべきである。全地球的な組織の下にローカルな部隊が編成されている、感染症に対する地球防衛軍的構想が現実的な問題となってくるかもしれない。[西澤光義]
『奥村鶴吉編『野口英世』(1933・岩波書店) ▽厚生省生活衛生局編『検疫制度百年史』(1980・ぎょうせい) ▽小倉正行著『輸入大国日本・変貌する食品検疫 低下する食料自給率と検疫体制の空洞化』(1998・合同出版) ▽響堂新著『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』(2001・角川書店) ▽検疫所関係行政研究会監修『検疫関係法令通知集』七訂版(2004・中央法規出版) ▽富士川游著、松田道雄解説『日本疾病史』(東洋文庫)』

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世界大百科事典内の検疫の言及

【防疫】より

…本来,伝染病予防と同義語であるが,防疫を伝染病発生時の対策(防遏((ぼうあつ)))のみに限局して使うこともあり,そのため発生時防疫と平常時防疫に区別することがある。日本においては,伝染病予防法等により感染源・感染経路対策(患者の早期発見・早期治療,隔離による伝播防止等)を,予防接種により感受性者対策を,また環境衛生の整備を目的とする各種法律によって感染経路対策(媒介動物対策,検疫による伝染病の侵入防止等)を行っている。また,環境条件や宿主条件に対する対策として,衛生教育や個人衛生も重要である。…

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