ウラジーミル派
ウラジーミルは
Vladimirskaya shkola
12世紀中葉から 13世紀後半のモンゴル=タタール軍の侵入の間にウラジーミル,スズダリ地方(→ウラジーミル=スズダリ公国)に栄えた建築と美術の流派。ウラジーミル=スズダリ派ともいう。初期には先行のキエフ(→キエフ公国)の芸術伝統をなお反映するが,しだいに独自のロシア的洗練にいたった。ロマネスク美術とアルメニア美術の影響も認められる。建築ではウラジーミルのドミトリー聖堂が代表例である。ここにみられる聖堂壁面浮彫装飾はウラジーミル派独自のもので,古代オリエント,ロシアの民族的伝統,西方ロマネスク様式などの諸要素が融合している。絵画では,のちに『ウラジーミルの聖母』と呼ばれる有名なビザンチン・イコン(→イコン)が 1161年にキエフからウラジーミルに移され,その後のロシア美術に多大な影響を与えた。キエフの影響は『ヤロスラブリのパナギア』の聖母のイコン(1200頃)にみられる。1408年には,アンドレイ・ルブリョフが D.チョルヌイを伴って,ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂にみごとな最後の審判風のフレスコを制作している。工芸作品にも秀作が多い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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