改訂新版 世界大百科事典 「アルメニア美術」の意味・わかりやすい解説
アルメニア美術 (アルメニアびじゅつ)
アルメニアの美術は,すぐれた独自の中世美術として東方キリスト教美術のなかで重要な地位を占め,その影響は中期ビザンティン美術やロシア中世美術のみならず,西ヨーロッパにもおよんでいる。
建築
アルメニア美術の特色ある姿は,高い円錐形のクーポラ(円蓋)を中心として均衡よく築かれた直線形のいかめしい聖堂(教会堂)建築に発揮されている。この地ほど円蓋をいただく集中式建築を愛好して,そのさまざまの形式を試みているところは他に類例をみない。これらのなかには地中海圏の諸要素とともにイラン系諸要素が濃厚に見いだされ,ササン朝建築の影響とならんで中央アジアの遊牧民の住居(テント)の天井形式(ラテルネン・デッケ)が石造に移され,さまざまのアーチ形式に発展しているのは注目に値する。聖堂を飾る彫刻も西アジアやイランの伝統が強く,扁平に刻み,幾何学文や組紐(くみひも)文のような抽象的図様が有力であって,人物像や古典系植物文を取り上げても,これを巧みに全体の図様構成のうちに同化している。こういう民族的なキリスト教美術は,4世紀初キリスト教がアルメニアの国教として認められて(アルメニア教会),公的な聖堂建築が始まった当時から,すでにその独自な性格を発揮していたのであろうか。最古の遺例は6世紀にさかのぼるにすぎないが,アニ近郊のエレルクEreruk,テコルTekor(現,ディゴルDigor)の聖堂はバシリカ形式でシリアの聖堂建築によく似ており,かつイランの宮殿形式を反映する隔壁があるが,全体として5,6世紀のアルメニアは,シリアおよびヘレニズム要素を取り入れて構築法を研修した準備時代であったと考えられる。6世紀後半から7世紀末までがアルメニア建築の〈第1の隆盛期〉であって,バシリカ形式の存続するかたわら多数の集中式建築の聖堂が建てられ,円形,三葉形,四葉形など,プランも構造も種類に富み,そのなかから正方形と十字形を組み合わせたものがアルメニア聖堂建築の古典形式として将来の発展を保証される。エチミアジンの聖堂がその早い例で7世紀初めに復興されたもので,形式は5世紀末にさかのぼるともいわれ,正方形の中央に4基柱をおいて,円蓋をのせ,これを四方から半円筒ボールトで支え,さらに四隅に交差ボールトを挟んで均衡させる方式で,複雑なものはこの四隅に小円蓋を置き,さらに後代では中央の円蓋を大きくし,単廊式聖堂に近づけて統一感を高めている。9世紀から11世紀にいたる〈第2の隆盛期〉では,これがさらに彫刻の技巧,装飾の整備を加え,芸術的表現を豊かにしている。アニの諸聖堂やアグタマール,マルマシェンMarmashen(レニナカン北西郊)の諸聖堂がその例で,優れた建築を生んでいる。装飾として外部には建築の要所に細い小円柱やアーチ形をつけ,また唐草(からくさ)や幾何学文様を刻んだ帯状装飾を加えて建築の構成を明示しようとし,またアグタマールの聖堂では盛んなブドウ唐草とともに平らな厚い浮彫で聖図像の人物や寄進者などの像あるいは動物像を刻んで,一種独特の生動感を与えている。内部も,集合柱を用いてアーチを受ける力線を強調し,視覚的に空間の合理的処理を示して,西ヨーロッパのゴシック的建築を思わせる構想をすでに実現しているが,12世紀以後はグルジアの美術の随伴的存在に堕してしまった。
絵画
絵画については,聖堂壁画の例は乏しいが,簡潔な民族様式を示す遺例があり,多数残る装飾挿図付聖典写本が6~14世紀にわたって,東方キリスト教絵画の特徴ある豊富な活動を展示する。早期は,ヘレニズム要素,中期からはビザンティン要素を反映し,後期にはイスラム要素の影響を受けるが,いずれの場合もアルメニアの民族様式の独自性を発揮し,簡潔な線と強い色彩で,明確な表現を特色とする。福音書の写本が主で,《エチミアジンの福音書》(エレバン図書館蔵,10世紀。象牙彫装丁板は6世紀)がその代表的傑作である。
執筆者:吉川 逸治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報