翻訳|fresco
広義では漆喰(しつくい)画,つまり漆喰壁に描かれた絵画全般を指し,この場合は〈壁画〉とほとんど同義語である。しかし,本来イタリア語のfrescoとは〈新鮮な,できたての〉を意味する形容詞(英語のfreshにあたる)で,名詞として,漆喰を塗ってまもなくそれがまだ乾き切らないうちに描く画法,およびそのようにして描かれた壁画に限定して用いられ,普通,フレスコとはこの意味で使われる。これに対し,漆喰が乾いてから彩色をする場合,セッコsecco(イタリア語で〈乾いた〉の意)という呼称がある。しかし実際の作品で両者を区別するのは必ずしも容易ではなく,両者の技法が併用されている場合も,一般に信じられている以上に多い。しかも,併用の度合がさまざまであるばかりか,技法自体にもさらに種類がある。学者によっては,メゾ・フレスコmezzo frescoとか,フレスコ・セッコfresco seccoとかの中間的あるいは混合的意味の用語を用いるが,混乱を招くので,避けたほうがよい。
フレスコの原理は次のとおりである。漆喰は消石灰と砂を主要材料とするが,時代と地域により,大理石粉,麦わらなどが加わることもある。それをあらかじめ粗塗りしておいた壁面に鏝(こて)で塗り広げると,その表面では消石灰が空気中の炭酸ガスと接触結合して炭酸カルシウムの被膜を形成し,他方では徐々に水分が空気中に蒸発する。この化学反応の進行中に,つまり漆喰がまだ完全には固形化せずぬれた状態のうちに,水に溶いた顔料を筆で塗ると,顔料は石灰分で包まれ,漆喰層に完全に固着して一体化した顔料層が表面に形成される。一般の絵画の場合とはちがって,とくに固着用の媒剤を顔料に混入する必要のないところが,大きな特徴である(絵具)。
この原理は,古くから,少なくとも古代ローマにおいて知られていたことが,ウィトルウィウスの記述によって確認される(《建築十書》第7書)。しかしこの原理が,実際にどの程度,そしてどのように活用されたかは,時代により異なっている。一度に塗った漆喰の面積が大きく,そこに表される図柄が複雑であればあるほど,最初に色が塗られた部分,たとえば地色とか素描とかに限ってフレスコで定着し,あとからの仕上げの部分はセッコの技法で描かれているものが少なくない。一方,比較的規模が小さく,また筆法も粗くて全画面が1日でも十分に仕上げられそうな作品では,全体がフレスコで仕上がっていると考えられるものも少なくない。ところで中世後期に至り,一画面の規模が大きいばかりでなく,明暗等写実的表現のために筆触が緻密になるにつれて,フレスコ画法を維持することは物理的に困難になる。それを解決するために,画面を分割して1日分の漆喰面積(ジョルナータgiornata)を限定することが行われた。これは,たとえば一人物の顔を描くだけに1日を費やしたとしてもよいことになる。その場合不可欠になるのが,全体の彩色計画と原寸大下図を前もって用意することである。このことはフレスコによる壁画の大きな転機であったにちがいないが,現段階で確認できる限りでは,それは13世紀の後半のことであった。このように技法的に完成されたフレスコは,とくにブオン・フレスコbuon fresco(〈純良のフレスコ〉の意)と呼んで区別される。原寸大下図としては,初めにシノピアsinopiaが,次いでカルトンが用いられた。シノピアとは本来,赤色顔料,赭土(しやど)のことであるが,この種の顔料で描かれている場合が多いために転用されるにいたったもので,粗塗り漆喰の上にじかに描かれた原寸大下図のことである。15世紀も半ばになるとカルトンが,より精密に完成した素描をより正確に写し取る手段として用いられるようになる。建築物の装飾法として,古代,中世,ルネサンスの長期にわたりモザイクと並んで重要で,モザイク以上に普及を見たフレスコは,しだいに油彩画に,そしてタブロー画に位置を譲り,18世紀を最後にほとんど衰退する。しかし,20世紀になって,壁画に直接に装飾する適切な画法としてふたたびフレスコへの関心が高まり,メキシコでオロスコ,リベラらがこの画法を活用した。
執筆者:辻 茂
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13世紀末から16世紀中葉にかけて、イタリアで盛んに行われた壁画技法。フレスコは英語の「フレッシュ」に相当し、新鮮な(まだぬれている)石灰漆喰(しっくい)の壁に描く技法からの名称。したがってフレスコの語を壁画一般に用いることは避けるべきで、「真のフレスコ」(ブオン・フレスコbuonfresco)技法は、乾いた壁(セッコsecco)に描くセッコ技法はもちろん、ある程度乾いた壁に描くメッツォ(メゾ)・フレスコmezzo fresco技法とも画然と区別すべきである。真のフレスコ技法では、原則として顔料は水(ときには石灰水)だけで溶かれ、通常の絵の具のような接着剤やつなぎ材としてのメディウムは使用しない。フレスコ画の顔料は、石灰漆喰の化学変化による乾燥硬化で壁面と一体化する。ぬれた石灰漆喰の上に塗られた顔料は漆喰壁に浸透して絵の具層を形成する。つまり、石灰漆喰(水酸化カルシウムと水)は空気中の炭酸ガスと化合する際、水分を放出して石灰岩(炭酸カルシウム)の状態に変化し、壁と一体化した非水溶性の強靭(きょうじん)な絵の具層をつくるのである。
[長谷川三郎]
(1)アリッチオarriccio 石壁の上に砂を混ぜた石灰漆喰を塗る。
(2)シノピアsinopia 木炭で構図を描き、オーカー(天然黄色顔料)を薄く溶いて塗り重ねたのち、シノピアとよばれる赤色土性顔料で素描する。このシノピア技法は13世紀中葉から14世紀中葉、および16世紀末から17世紀初めによく行われた。
(3)イントーナコintonaco 絵を描くための最上層の地塗り。目の細かい砂や大理石粉を混ぜた石灰漆喰を塗る。この地塗りは、1日で画家が描き終えられる一定の部分(ジョルナータgiornataという)だけに、絵を描く直前に塗られる。
(4)シノピアが描かれない場合には、イントーナコのあとで構図を転写する。これには次の二つがある。〔a〕スポルベロspolvero 原寸大の構図を素描した紙(カルトン)の輪郭線に点線状に小孔をあけ、イントーナコに当て、上から木炭粉末の入った布袋をたたき付けて転写する方法。15世紀中葉から後半にかけてもっともよく使われた転写法。〔b〕カルトンを当てて鉄筆で輪郭線をトレースし、イントーナコ上にへこんだ線を刻み付けるようにして転写する方法。16世紀に多用された。
(5)水(または石灰水)で溶いた顔料を用いて絵を描く。顔料は耐アルカリ性の天然土性顔料を選ぶ。画家は自分の力量や細部の難易度に応じて決定したジョルナータを、的確に時間内に完成することが条件となる。改変や加筆は許されず、タッチを誤るとイントーナコの段階からやり直さなければならない。
フレスコ技法は、バザーリのことばにあるように、卓越した技量を備えた大画家にこそふさわしい「男性的」で「確固たる」絵画技法である。また色彩は明るく透明感にあふれて完全にマットな美しい画面をつくり、経年変化によって格調高い深い輝きを帯びるなど、真にモニュメンタルな絵画の制作に適した最高の壁画技法である。ジョットのアレーナ礼拝堂(パドバ)の壁画、ピエロ・デッラ・フランチェスカのサン・フランチェスコ聖堂(アレッツォ)の壁画、そしてミケランジェロのシスティナ礼拝堂(バチカン)の天井画、14、15、16世紀を代表するこれらのフレスコ画連作の壮麗さと色彩の鮮明な美しさは、フレスコ技法の特質を十分に物語っている。「もっとも美しくもっとも精緻(せいち)な」(チェンニーノ・チェンニーニ)、そして「もっとも永続的な」(バザーリ)技法とたたえられたフレスコ技法も、ルネサンス絵画とともに衰退した。その理由として、〔1〕画家がぬれた壁に色を塗る際、乾いたときの色調を見ることができない、〔2〕修正加筆が許されない、〔3〕ジョルナータに従って手順を踏んで描き進めねばならず、一つの仕事に画家は長期間拘束される、などがあげられる。すなわち、熟練を要する困難な技法であったこと、加えて経済的にも不利だったため、時代の変化とともに、画家たちはフレスコ技法を顧みなくなったのである。
[長谷川三郎]
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…この名称は英語のporous(多孔の)からとられたものとされ,アメリカのエリソン社がporalの名で商標登録したもの。イギリスでは一般にフレスコfrescoと呼んでいる。現在では2本の強撚梳毛糸を用いたものも生産されている。…
…この名称は英語のporous(多孔の)からとられたものとされ,アメリカのエリソン社がporalの名で商標登録したもの。イギリスでは一般にフレスコfrescoと呼んでいる。現在では2本の強撚梳毛糸を用いたものも生産されている。…
…おもな絵具とその展色剤主成分を列挙すると次のようになる。(1)水性絵具 水彩絵具およびグアッシュ(アラビアゴム+水),ポスター・カラー(にかわまたはデキストリン,エチレングリコール+水),テンペラ(卵またはカゼイン),フレスコ(石灰水),墨汁および岩絵具(にかわ液),水性アクリル絵具(アクリルエマルジョン)。(2)油性絵具 油絵具(植物性乾性油+樹脂),ペンキおよびエナメル(乾性油または有機溶剤+樹脂),クレヨンおよびパス(蠟+乾性油),油性版画インク(乾性油),シルクスクリーン用インク(乾性油,アルキド樹脂など)。…
…このような移動する視点は,また日本の障屛画や掛物にも認められる。 壁画の技法にはさまざまの種類があるが,西欧ではとくに中世末期からルネサンス期にかけてのイタリアで,粗壁の上に塗ったしっくいがまだ乾かないうちに水に溶いた顔料で描くフレスコの技法が多くの優れた作品を生み出した。フレスコ画は,絵画が壁と一体になっているのできわめて堅牢であるが,すばやい制作が要求されることと,修正が困難であることから,油絵の登場とともに,しだいに油絵に席を譲るようになった。…
…このように壁面を3段に分けることは,西洋では後世まで行われ,腰羽目は一般的には木の縦板であった。漆喰(しつくい)の壁面にテンペラまたはフレスコの技法で絵をかいて装飾とすることは古くから行われ,そのもっとも完全な遺品はやはりポンペイに見いだされる。ここでは3段に分けたうちの中央区がもっとも広く,この区に主要の絵,たとえば,神話から取材した絵や家人の肖像などが描かれた。…
… 卵を用いた技法自体はギリシア・ローマ以前から存在し,中世の装飾写本,中世末からルネサンス期にかけての板絵の祭壇画,東欧のイコンなどでは主要な技法であった。フレスコの補助技法としても使われ,しっくいが乾いてから描くセッコと呼ぶ技法に使われる絵具の大半は卵テンペラである。15世紀中ごろから油絵が普及し始めると,テンペラは色の透明感,光沢などの点で劣り,取扱上の制約も大きいために急速に主流技法の地位を失うが,デッサンやエスキースにはその後も広く使われた。…
※「フレスコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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