ウワディスワフハショル(その他表記)Władysław Hasior

20世紀西洋人名事典 「ウワディスワフハショル」の解説

ウワディスワフ ハショル
Władysław Hasior


1928 -
ポーランド彫刻家
1952〜58年にワルシャワ美術学校に学び、’58年からはパリに出て、ザツキンアトリエに入る。金属針金ガラスなどの廃物を組み立てた不思議なアサンブラージュによる作品にはシュルレアリスムロマンティシズム影響がみられる。代表作に「山岳救難隊」(’59年)、「射殺されたバルチザンたち」(’64年)などのモニュメントがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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