ザッキン(その他表記)Ossip Zadkine

デジタル大辞泉 「ザッキン」の意味・読み・例文・類語

ザッキン(Ossip Zadkine)

[1890~1967]フランス彫刻家ロシア生まれ。キュビスムや黒人彫刻の影響を受け、幻想的、表現主義作風を示した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ザッキン」の意味・わかりやすい解説

ザツキン
Ossip Zadkine
生没年:1890-1967

ロシア出身の彫刻家。スモレンスクに生まれ,ロンドンで美術を学んだ後,1909年にパリに出る。はじめロダンに傾倒するがまもなくリプシッツ,ローランスH.Laurens,ガルガロP.Gargalloらと知り,キュビストのグループに近づく。第1次大戦従軍時の事故とロシア革命による生家没落に失意するが,20年ころから意欲を回復,20年代後半よりキュビスムの影響を脱して,生命力を重んじ,動きをはらんだ造形を築き始める。31年のギリシア旅行は彼の芸術に大きな影響を与え,古典彫刻の荘厳さを新しい様式に復活させた。41-43年ニューヨークに戦難を避ける。第2次大戦後は,ロッテルダムなどに記念像を多く残した。戦前は二科会外国会員で,59年には展覧会を機に来日した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザッキン」の意味・わかりやすい解説

ザッキン
ざっきん
Ossip Zadkin
(1890―1967)

フランスの彫刻家。ロシアのスモレンスクに生まれ、主としてフランスで制作活動し、1921年フランス国籍を取得した。最初ロンドンの工芸学校に、ついで1909年パリの美術学校に学ぶが、半年で退学。15年ころより黒人彫刻とキュビスムの影響下に、対象を面に分解・再構成した作品を制作するが、彼の叙情的素質は、厳密な幾何学的構成になじまず、20年ころからはより有機的・力動的な形態とキュビスム風の構成を一体化する。その後、彼の表現はいっそうバロック的、表現的となり、複雑な形態の組合せ、随所に設けられた空隙(くうげき)部などによって動的な世界を示した。第二次世界大戦中に制作された『囚人』(1943)、あるいは連作としてさまざまなバリエーションをもつ『オルフェウス』、ドイツ軍爆撃による死者たちのためのロッテルダム市の記念碑『破壊された都市』(1953)などが代表作。

[中山公男]


ザツキン
ざつきん

ザッキン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザッキン」の意味・わかりやすい解説

ザッキン
Zadkine, Ossip

[生]1890.7.14. スモレンスク
[没]1967.11.25. パリ
ロシア生れのフランスの彫刻家。 1907年からロンドンの工芸美術学校で学んだあと 09年パリに出て国立美術学校に入学し,6ヵ月で退学。キュビスムの影響を受け,黒人彫刻に学んだ独自の様式を形成。対象を平面の集合体として構成し,凹面と凸面を逆転,微細な凹凸を省略する作風はロシア的な幻想性と詩情をたたえ,キュビスムの彫刻家と目された。晩年には装飾的な傾向が強くなった。 21年フランス国籍を取得。第2次世界大戦中アメリカに亡命,戦後パリへ戻り 62年国立美術学校教授。 59年フランス文化使節の一員として来日。 50年ベネチア・ビエンナーレで受賞。代表作は第2次世界大戦記念碑『破壊された都市』 (1951,ロッテルダム) 。

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百科事典マイペディア 「ザッキン」の意味・わかりやすい解説

ザツキン

主にフランスで活動した彫刻家。ロシアのスモレンスク生れ。1906年英国,次いで1909年パリに移る。キュビスム,ニグロ彫刻の影響を受け,プリミティブな生命力を新たな形式によって表現した。第2次大戦で破壊されたロッテルダムのための記念像(1954年)は有名。

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