日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルミュッツ条約」の意味・わかりやすい解説
オルミュッツ条約
おるみゅっつじょうやく
Olmützer Punktation ドイツ語
1850年11月にモラビアのオルミュッツOlmütz(現在のチェコのオロモウツOlomouc)でオーストリアとプロイセンとの間に締結された条約。三月革命後プロイセンは、外相ラドウィッツのもとに小ドイツ主義的統一を目ざすドイツ連合政策を推進したが、オーストリアはロシアの支持を得てこれに強硬に反対、クールヘッセンKurhessenの政情不安も絡んで、両国間の対立は極度に激化した。しかし、軍事力に劣るプロイセンは、結局オーストリアとこの条約によって妥協し、ドイツ連合政策を断念した。さらに、この条約に基づくドレスデン会議では、革命前のドイツ連邦と連邦内のオーストリアの優位とが復活した。プロイセンの国民主義的陣営は、この条約を「オルミュッツの屈辱」とよんだ。
[末川 清]