日本大百科全書(ニッポニカ) 「カザン・ハン国」の意味・わかりやすい解説
カザン・ハン国
かざんはんこく
Kazan Khanate
ボルガ川中流のカマ河畔のカザン市を首都としたトルコ人の国家(1445~1552)。キプチャク・ハン国のクチュク・ムハンマド・ハン(在位1423~59)のとき、その一族のウルグ・ムハンマドとその子のマフムデクが逃げて、カザンをよりどころに独立の王国を建てたのが始まりである。マフムデクはこの地方の先住民であるチュバシ人、モルドビン人、チェレミス人などを征服して、トルコ・イスラム政権を建て、イスラム寺院を建設した。カザン・ハン国は初めモスクワ大公国を攻撃したが、しだいに反撃され、同大公国のイワン4世(雷帝)は15万の軍隊でカザン市を攻撃し、1552年10月2日にこれを陥落させ、その後5年にしてカザン・ハン国をモスクワ大公国の領土に併合した。現在のロシア連邦のタタールスタン共和国の先住民の多くは、カザン・ハン国時代の住民の後裔(こうえい)である。
[佐口 透]